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ガッツ石松さんとの伝説!完結編。。やっとこさだっ(爆)

投稿日:

3月10日SPEAKの。。やっと、続きだっ(爆)←まずは、10日のSPEAK見直して読んで下されっ(爆)

必殺仕事人!加入へのきっかけとなったドラマ。

京都マル秘指令ザ!新撰組という番組での出来事。

もう26年ぐらい前の事だが。。。

最終回だけあって大人数での派手な格闘シーンである。

まずは、古谷一行さんや横山ノックさんが大立ち回り。。

そして、、、ボクガッツ石松さんが二人で大人数に立ち向かうという

設定のアクションシーン。

 

アクションを専門にやっていらっしゃるスタントやアクションチームの方に加え、大人数の敵に立ち向かうと言う設定上。。。。

素人さん?と言ってしまうと、いささか語弊があるかもしれないが。。

所謂、アクションとは日頃無縁なエキストラの男の子達も多く。。

出演者としてボクたちの敵役として配役され、紛れていたのだっ。

殺陣師(立ち回りを付ける方)の方が。。

こうして、ああしてと。。全体の動きをつけ。。リハが始まった。

とにかく。。大勢で一気に攻めて来る敵をガッツ石松さんとボクは同時に。。バッタバッタとなぎ倒すのだ。

 

ボクはカンフーの達人と言う設定。

 


(記事でも師匠と言っているのに…怖いもの知らずのボク汗

そして。。ガッツさんは。。説明するまでもなくボクシングの元世界チャンピオンの凄い方だ。

 

一度、リハ(動き)を軽く合わせてみたところ。。

その中のエキストラの若者の動きがアクション等、おそらく初めてだったのであろう。。妙にぎこちない←(=危ない)

我々の仕事は本当に絵空事を演じているように見えて。。

ホント、一歩間違うととんでもない大怪我をする。

ボクは、この作品に入る前にJJサニー千葉さん率いるジャパンアクションクラブと一緒に立ち回りから。。乗馬に至るまで。。

徹底的に深作欣二監督にしごかれまくった直後であり。。←かなり、絞られた。(何せ、JAC(現JAE)の真田広之先生と同じ扱いで指示されるのだっ。ボクは、、ちょっと前まで銭形平次の魚屋善太だったのだっ(汗))冷や汗

現に、自身でも。。ちょっと前に、乗馬で。。映画キャンペーン中落馬も経験しており。。撮影中大変な思いを経験したばかり。。この、役者がアクションをすると言う事には。。かなり、神経質になっていた時期だ。

今でも、その部分は変わらないが。。。。汗

(ボク)あのねっ!ボクが右足で回し蹴りをやったあと。。
即、左からパンチを繰り出すところ。。
絶対注意した方がいいよっ
さっき、殺陣師の方から教わった事、ちゃんと頭に叩き込まないとねっ!
ホントにえらい目に遭うからね!
(まあ、ボクが、いつも言われて来た事を偉そうに(爆)
そのまま言ったまでだが。。。汗

(相手)。。。。。。自信なさそうにビビっている感じが明らかにわかる。←(ホント初めてだったのであろう。。。)

今思えば。。人数合わせと言えども、初めての経験者に立ち回り事体が無茶だったのだと思う。

その言葉を横で聞いていたガッツさん。

(ガッツさん)京本君~相手は素人なんだから。。
そこは、うまくこっちが合わせてあげればいいのよっ!
そんな難しい事言ったって。。
急に出来る訳じゃないんだから。。

(ボク)素人だからって。。
本番になってしまうと何が起こるか分からないじゃないですか。。
せめて、殺陣師のつけた動きは真剣に覚えないと。。
彼らの為にも、又僕達だって怪我をするかもしれないし。。良くないと思います。←うわっ!世界チャンピオンに
生意気を言ってしまった。(汗)←口に出してしまった以上。。
後に引けなくなっているボク。。(ボクは何事においても一事が万事こんな風だっ(汗))

(ガッツさん)そこは、京本君!
君は少なからず経験者、プロなんだから。。
危ないと思ったら君が避けて助けてやんねえと。。←(ちょい訛り(ペコリ))

(ボク)それはそうなんですが。。
彼らだって、将来一人前の俳優を目指しているんしょ。
せめて、言われたことは、ギャラを貰って仕事をしている以上やるべきだと思います。
そりゃあ。。ガッツさんはチャンピオンだった方だ。
身体能力が人の数十倍優れてらっしゃる。
危ないと感じ。。避け切る事は可能だと思います。
しかし、ボクシングと立ち回りは違うと思うんですっ←あっ!めっちゃ
言いたい事を云ってしまっているボク(汗)びっくり

(ガッツさん)ちょっと、京本君、後でロケバスで話そうっ!←大人なガッツさん。

 

と言う訳で。。。取り敢えず。。このシーンを何事もなく無事撮り終え。。。。

 

 

ロケバスの中。。。。

 

 

一歩も引かぬ京本青年。

 

 

ボクをじっと。。見つめているガッツさん。

 

 

 

オドオドと、、、二人の様子を、間に入って仲介しようと横山ノックさん。

 

 

 

かなりの沈黙。。間が。。。。。。と、ガッツさん!

 

 

(ガッツさん)京本君の云うのにも確かに一理ある。
しかし。。仕方のない。この撮影状態もあるじゃないかっ。。。

 

 

(ボク)、、、、、、(うっ。。確かにっ)←心の声

 

 

(ガッツさん)俺に良く云ったよ。ホント!こいつ!一発殴ってやろうかと思ったけど。。
大したもんだっ。。。

と、笑い出された。←実に豪快なガッツさん

(心の中、、ホッ、、、安堵。)

 

 

実際、ヤバイと思った。殴られる?世界チャンピオンに殴られるのかっ??

 

 

しかし。。。言い出したら引けぬボクの性格。覚悟だけはしていたのだっ汗←痛いだろうな??悲しい

 

 

撮影所に戻り。。ガッツさんに詫びた。

 

 

(ボク)すみません。生意気な事を。。先輩に対して。。。反省しています。(ペコリ)

 

 

(ガッツさん)いやっ。。俺も大人げなかった。
京本君、今度、必殺加入するんだってな。
頑張れよ!(微笑)

 

 

その後。。故人 横山ノックさんに。。番組等でお会いする度にその話をおもしろおかしく振られたものだっ。

 

 

「京本くんは。。ガッツに喧嘩売りよってなっ~!世界チャンピオンとあわや殴り合い寸前やったんやっ。
ワシは。。それを。。どうしようもなく、オドオドと見とったんやでっ!!まいったわっほんまに無茶しよんねんっ。。。。びっくり

 



うわっ!!確かに今思えば。。世界チャンピオン!

 

しかも。。現在のガッツ石松さんではないのだっ

 

26年以上前の若い若いガッツさんだ。

(↓ガッツ伝説ってこの頃から使われていたんだなっ(爆)可愛がって頂いていた証拠)


もし?(まあ、そんな事はなかっただろうが)殴られていたら

今のボクは。。。。間違いなく居ない(爆)

若気の至りとは。。。恐ろしやっ

 

 



後日談。。。

日本テレビの24時間テレビSPドラマ車椅子の花嫁という番組で、国生さゆりちゃんと主演をしたときの事。

ガッツさんは国生さゆりちゃんの父役であった。

 


→2/5のSPEAKもご参照あれなのだっ。

 

ガッツさんとは、必殺後。。初めての再会であった。

京本君!!良かったなっ!良く頑張ったな!!!と声を掛けてもらった。

凄く嬉しかった、、、こうして、、本当にボクは良き先輩達に恵まれていた。。

ひとつ、ひとつが本当に経験である。

その後の自身の辛い経験も経て。。。

今では、ガッツさんの、あの時、本当に云いたかった気持ちも理解が出来る年齢になった。

何事も本当に経験なのだっ。思い通りには中々行かない。

製作予算、時間の制限。。色々とあるのだっ汗

ガッツさんとは、今では旅番組でご一緒し、海外に行ったり。。

ボクの監督した作品に友情出演して下さったり。。。

本当に仲良くして頂いている。(微笑)

お元気に頑張っていらっしゃるお姿を拝見し、、本当に嬉しい限りだ。

ノックさんは、お亡くなりになられた。残念で仕方がない(悲)

 

 

ボクの相棒役であった甲斐智枝美ちゃん。(元ホリプロのトップアイドルだ。)。。

妹の様に、いつもボクの側に、ポツンといた本当に可愛い子であった。

 


実は、彼女の旦那様は。。ボクの25周年記念!苦悩ライブのドラマーなのだっ。CDやディナーショーもそうだっ。


彼女も又、あの頃。。ボクの作った新撰組主題歌(I Can’t Say…)が好きだと言って良く聞いてくれていた。


ボクが久々に音楽活動を再開し。。


苦悩アルバムを作っていた時、彼女の旦那様であるボクのバンドメンバーのドラマーの方にアルバムをお渡ししたところ。。


宜しく!と彼女から伝言が来た。


「京本さん頑張っていますね~!ホント、あの頃と変わらないですね~!」と。。。


彼女にはお子さんもいたのだ。


しかし。。それから。。すぐに。。智枝美ちゃんは、自身の手で命を絶ってしまった。。。何故だ?本当に無念でならない。

 

 

 

彼女もノックさんも。。。もう、この世にはいない。。(涙)

本当に。。頑張って生きて行かなくてはいかないのだっ。。

こうして色んな事を思い出す度。。

人生が走馬灯の様に駆け巡る。。。

頑張って生きて行かなくてはいけないのだっ!

 


皆も、頑張ろう!!ボクも頑張るのだっ!

 

死んで花実が咲くものか?なのだっ!

 

ボクは生意気でも不器用でも。。。。

 

一生懸命生きている奴が好きだっ!

 

夢に向かって頑張っている奴が大好きだっ!

 

人生!頑張って前を見るしかないのだっ!

 

ちょっとや、そっとの失敗にへこたれていてはいけないのだっ!

 

 

挫けている場合ではないのだっ!

 

 



おやすみなり~スタスタスタ。。。ジョギング汗

 

 

 

 

 

 

 

あっ!!橋本淳君(ちりとてちんのボクの甥っ子役)
連絡ありがとなっ!元気そうで何よりだっ
又メシ食いに行こうな(爆)頑張れよっ~←可愛い奴だっ嬉しい

 

 

A.B.C-Z戸塚祥太君~!伝言は聞いたよっ。
ありがとう!(微笑)。。。って(汗)??おっ?おい??
だから。。。。。。グループ名の意味は??

ボクたち、アクロバッドボーイズクラブ~~ット←(やや、飛躍してるボク。)
で、いいのかああ?????

このままだと、マジンガー~~ットと、同じになるぞ??いいのか???水木一郎さんに叫んでもらうぞ???(爆笑)←アニメソングの帝王←わかる???

たいぴー!!聞いといてくれっ(爆)←気になって寝れんっ(まさに爆だっ)

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以心伝心。。兄弟(柳沢慎吾ちゃん)と、少し遅れのBirthday

投稿日:

兄弟柳沢慎吾ちゃん)と。。

あっ!今日は仕事終わりで会えんかな??ふと思ったボク。

先日、メールで兄弟の誕生日をお祝いをしたものの。。

あれから。。お互い何かと忙しく会えていない。。。。

よしっ、今日は仕事も早く終わるかも?だし。。

連絡してみよっ!!!!

と。。。。思ったとたん連絡が来たのだっ←スゴッ!

 

以心伝心とは良く言ったものだっ

兄弟とは前世から繋がった何かがあるのだろうかっ(爆)←やや大袈裟。。。

しかし。。この世界において何十年も親友付き合いが出来。。。

そして。。自分たちで言うのもなんだが

お互い、一線で頑張っていられる事の幸せをホントに感じるのだっ。しみじみ。。

 

あっ!皆様っ!沢山の心ある暖かな書き込み。。本当に有難うございます。(ペコリ)


これからも、初心忘れず頑張りますっグッド


皆様もガンバよっ~(微笑)

 

兄弟と初めて会ったのは(いやっ正確にはボクが一方的に兄弟を見たのは(柳沢慎吾ちゃん)、同じ移動車のロケバスの中で後ろから見かけたのが最初だと思う。

ボクが兄弟を直接見たのは←猿じゃないんだから「見た」はないがっ(爆)

「上海紅鯨団」という、とんねるずさんの番組の、お互いセミレギュラ-をしていた時だ。

コーナーが違ったので。。確か?からみはなかったと思う。あれっ?←覚えていないっ汗←ホント何も覚えない性格らしい(ペコリ)

そのロケバスの二つ前の席の窓側で。。

ひとり。。窓の外を見ながら。。。何やら。。ブツブツブツブツ

独り言を言っている兄弟を目撃したのが初対面だっ。

うわっ!!何かテレビのイメージと違うっ??暗い人??←声掛けズラッ(汗)

おそらく?今考えてみると。。兄弟はひとり。。

あの面白い。。自分の芸と言っていいのかなっ??。。本当に芸人さんが真っ青になってしまう芸←やっぱり芸だよなっ(爆)

それを自分の中で復唱していたのだと思う。←メチャ!根が真面目な兄弟なのだっ。

後に。。お正月時代劇「次郎長三国志東海道の暴れん坊 」(次郎長役、高橋英樹さん))で、

正式な共演をし。。ボクが関東綱五郎、兄弟は追分の三五郎という役。。。

 

後に又。。ボクがお兄ちゃん←ボク等はそう呼んでいる松方弘樹さんと、又次郎長ものを演じる事になるのだが。。

その時は、ボクが追分の三五郎役をやったのだっ。

つまり。。。追分の三五郎というのは歴代。。近藤正臣さんが演じたり。。所謂、超二枚目の役であり。。。(爆)

兄弟と初めて正式な共演をした時。。。。

????????柳沢慎吾ちゃんが追分役???と正直感じたものだっ(爆)←兄弟許せっ

いやいや。。兄弟は真面目に二枚目風??(爆)、追分三五郎を演じていたのだっ←それが。。逆に意外におもろかった。(爆)

 


何年か後に 「HOTEL」というあの有名番組のハワイ編で

三ヶ月半もの長期ハワイロケを経て。。

兄弟とは名実共に兄弟の契りを交わす中になるのである。

 

現在においては世間では。。。悪魔の兄弟コンビと言われているのだっ。(爆)

既に。。初めての次郎長共演の時、まだ新人で、初めて京都の撮影所に来て舞い上がっていた?可愛い新人の頃の、森の石松役仲村トオル君を。。あっちにこっちに連れ回し。。面倒を見ようと。。おせっかいを焼きまくっていた図式は。。後の「ウンナンの気分は上々」で、ナンチャンを引っ張り回す図式に。。。。ちょっと似ていたようなっ。。(爆)
二人が息の合う兆候は既にあった訳だっ(苦笑)

 



何故?悪魔の兄弟かって??

知っている人は知っているだろうし。。まあ。。詳しい事は何れだっ。。。(微笑)

いやああああああ。。。しかし、こうして二人で兄弟の誕生日を遅ればせながら祝えるというのは。。。

嬉しい限りだっ!

本当に平和だっ!

 

兄弟はボクの花粉を知っており目薬を持って来てくれた。←ホント心優しい我が兄弟!最高だっ!(微笑)

 


目のかゆみだけでなく、異物感、充血にも効く!アルピタットだっ!←自己フォロー(爆)何故かって?冷や汗

(ボク)アルピタット??なにこれっ?

(兄弟)花粉、目のかゆみに効くんだよっ!兄弟!

(ボク)ありがとうねっ!兄弟~!!!

(兄弟)あれっ??それだけっ??

(ボク)。。。。??????

(兄弟)。。。オレ、これのCMやってんだけど??

(ボク)。。。。。。。←テレビを殆ど観ていないボク。冷や汗

(兄弟)兄弟っ(気を取り直し)満面の笑顔で。。昨日さあ、
マダガスカルの舞台挨拶やって来たんだよ~楽しい
玉木宏君中々いい奴だねっ!

(ボク)ああっ!前にボクも会った事あるけど。。いい子だねっ

でっ??兄弟??マダガスカルってなに??←ホント何
も知らないボク。。(汗)

(兄弟)アメリカのドリームワークスのだよっ兄弟っ!

(ボク)ドリームワークスって何??

(兄弟)アンタ??ほんと知らないの?びっくり

(ボク)。。。ほうとうと、きりたんぽの違いも、こないだまで
知らなかったもんで。。。。。。(汗)汗

(兄弟)あんたねええっっ。。ううううううんん、、もうっイヤっ
と、そこに。。かなりのグッドタイミングで。。。

少し用事があり。。(ボクがトヨタ2000GTでお世話になっている時々ここに登場して下さる(爆)諸井さんが息子さんと現れた。)大変、ボクにとってラッキーなホントにグッドタイミングであった。

諸井さんにお渡しするものがあり。。ボクの居る場所をさっき教えておいたのであるっ。グッド

あまりに。。モノを知らないボクに少し呆れ。。凹んでいた兄弟だったが。。。。

さあ。。初めて会うお二人が登場すると。。

兄弟!俄然張り切るの巻きだっ!!

 


何万回ボクは聞いたか分からない兄弟のネタのオンパレード。

諸井さん親子は大爆笑の渦。。。

お腹を抱えて。。。帰って行かれた。(爆)

兄弟。。ご満悦だっ!ボクは。。。ホッとした。(爆)拍手

さて。。宴もたけなわ。でっ。。。どうしたか??

ここで、前にも言ったように普通ならカラオケ?呑みに?となるのだが。。。。

 

ボクの場合。。。

(ボク)兄弟!!ところでマッサージ行かない?

(兄弟)おっ!いいねええええええええ兄弟~行こっ!行こっ!

と、なり、、、、、先日。。田中聖君やたいぴー(藤ヶ谷太輔君)を連れて行った、タイ古式マッサージに直行!!←またかっ!どんだけ連れて行くんだっ?と、自分でも思うが。。楽になるから非常に、このコースがボク的に健康的で良いのだっ!

もちろん兄弟はボクの助手席に乗った。(爆)←もうタクシー運転手になる訳にはいかないのだっ(爆だっ)

 


ボクの運転でレクサス。プレミアムスポーツIS Fに乗り爽快気分で二人移動。

クルマの話で車内は盛り上がる。←この分野はやたら詳しいボク(ニンマリ)

 

そして。。二人して。。マッサージを二時間も受けっ

今 さっき帰宅をしたのだっ

兄弟へのボクからのプレゼントは。。。

タイ古式マッサージ二時間コースだった、という話だっ!(爆)←(お互い結構!歳なもんでっ(笑))

マッサージを隣の個室で受けている兄弟の話声がいつまでも

隣のボクに聞こえていたのは言うまでもない。←ホントにサービス精神満載!全開の兄弟なのだっ

 

あああああ、しかし。。スッキリしたのだっ

 

おやすみなり~

 

あっ!!当分、ガッツ伝説は書けそうにない(爆)←許せっ

 

Speak

今日はホワイトデーかっ!KEEP ON DREAMING あの頃のボク。。

投稿日:

かなり懐かしい音源を聞いてしまった。。。。

あっ!その前に言っておくがボクのはブログではない。
あくまで。。SPEAKだ!←どこが違うのかと聞かれても。。わからんっ(爆)だが、とにかく、自由な話なのだ。長いとか短いとか関係ない。(爆)



本当に懐かしい。。

ほぼ、自分の中でも忘れかけていたのか?

故意に自身の中にしまい込んでしまっていたものなのか?。。。

あの頃の事が鮮明に蘇ったのだ。

ボクは、このSPEAKの中で。。可愛がっている後輩達に

いつもエールを送っているが。。。。

 

本当に頑張っている。未来ある後輩達の気持ちや、心の葛藤が。。あの頃の自身に重なる部分があり、いたく共感出来るからこその
エールや言葉を。。おせっかいな事とは思いつつ。。投げかけてしまう。

以前、必殺仕事人出演の前後には小さなライブ会場から始まり、
仕事人途中、又仕事人を終える頃には随分とシンガーソングライター。。アーティストとして、多くのアルバムやシングルをリリースし。。。

とにかく。。役者としてもシンガーソングライターとしても順風満帆。。大ホールでのコンサートまで。。

夢を見ていたことが本当に現実の出来事として自身の身に降り注ぎ。。今思えば、無我夢中ながら。。幸せな日々であったと思うと語った。

23歳から26歳頃の出来事だ。

しかし、真実は、人生の流れと言うものは、そんなに甘いものではないのだ。。。

もちろん、周りから引き起こされてしまう事、自身の手により自分自身の身を危機に晒してしまう事。。人生とは様々だと思う。

ボクの場合は。。どちらかというと後者??

細かい事は語るまい。自身の心の問題だからだ。

 

とにもかくにも、あの頃のボクはある事がどうしても許せなかった。。。

今思えば。。大した事ではなかったのかも知れない。若さ故、突っ走ってしまった事とも言える。

申し訳なかったと反省している部分さえあるのだ。

逆に今は、寧ろ感謝している部分が多分にある。。。

しかし。。いつも言うように、これも結果、必然だったのだとボクは思っている。

何故なら。。それらのことがあり、現在の自分、人間関係、環境に出会う事が出来ているのだから。。。

後悔等。。今は何もしてはいない。

だが。。やはりあの頃の自分はやはり違ったと思う。

後悔もしていただろう。強がっていても焦ってもいたはずだ。

ボクは、仕事人の人気絶頂のさなかに所属事務所を辞めると言う、本当に今考えてもかなりの無茶な行動をしたのだ。

もう、言い出した限り引き返せなかった。

 

どうしようもなかったのも事実だ。心の中では誰かに助けて貰いたかったに違いない。。。

ボクは、まだ26歳になったばかりであったのだから。。。

ある朝起きたら。。知らぬ間に必殺の降板は決まっており。。

 

 

ボクの、それまでやってきたラジオ番組、テレビのレギュラー番組の数々は。。。夢のような出来事は一瞬に消えて無くなっていた。

 

 


藤田まことさんや。。親しくさせて頂いていた先輩方からは本当に暖かい言葉をかけて頂いた。本当に感謝している。

必殺の石原興カメラマン(現、監督)にも撮影所の片隅で声を掛けて頂き。。説得もされた。

だが。。本当にあの頃の若さ、甘さはどうにもならない。

 

ボクは。。不安ながらも突っ走ってしまったのだ。

元々ポジティブだったボクは。。物事を。。前向きに前向きに考え。。。ホント!自分に言い聞かせながら前を歩く事だけを考えていた。

だが。。。世の中、それ程甘いものではないのだ。

人気絶頂期。それこそ26年経った今でも必殺!必殺!と言われるボクだ。

 

確かに当時のボク演ずる組紐屋の竜人気は、自分で言うのも恥ずかしいが。。無敵なものだったのかも知れない。

 

ところが。。ある朝起きたら。。全てが消えて無くなった。

 

 

ファンの方には、本当に申し訳ない事をしたと感じる。

映画,必殺IIIで、竜は無惨な死を遂げたのだ。

今でこそ。。本当は生きているのでは?などと。。ボクも語るし。。

竜の死に顔そのものは映像には残っていないだけに。。

そう解釈も確かに出来る事は事実だ。

 

 

 

だが、真実は。。本当にボクの手にした台本には竜の死骸を。。雨に打たれ。。呆然と見つめる加代(鮎川いずみさん)というト書きがあり。。事実、撮影もされたのだ。

 

 

本編で、それらがカットされたのは。。本当にファンの方々の応援、声援の賜物だったと思う。

 

ボクは。。その時のボクは。。

それでも、気丈に明るく振る舞っていた。

 

事実は。。。ボクは台本を見るまで、殉職を知らされてはいなかったのだから。。。

それこそ。。ボクの心は茫然自失であった。

しかし。。決して表面には、その悔しい気持ちは表には出さなかった。自身で招いてしまった事だ。

あくまでも。。先をみて。。未来に夢を馳せ。。

とにかく。。仕事を終え、次なる明日(未来)に羽ばたく事。

 

いつの日か、またこの撮影所に帰って来る。気心の知れたボクを育てて下さったスタッフと仕事が出来るよう頑張るのみ。。。

前を向き、その事だけを考えていた。

しかし。。現実はそれ程、ドラマや小説程、甘くはない。

ボクは。。。必殺を卒業と同時に全てを失った。。。

 

 

お金も。。仕事も。。まだ、26歳になったばかりであった。

 

 

所属事務所、マネージャーさえも居なくなった。

 

ただ一人。。。音楽の友。。堀口ノア(現在の上杉勝也)だけが。。ボクの相棒として側に居てくれた。

 

レコード会社(ビクターインビテーション)は、唯一、契約を続行してくれた。

 

コンスタントに何万枚かはレコードが売れていたからだ。

これも。。皆様のお陰だと感じている。本当に感謝だ。

ボク、組紐の竜は。。まずは銀行に借金を申し入れた。

 

幸いにも人気の出ていたボクに先行投資で。。知人に保証人になって頂き。。(この方には返済も済ませ。。今でも仲良くさせて頂いている。。命の恩人だ、本当に本当に感謝だ)個人事務所を設立し、代表になった。

 

若干26歳で芸能事務所の社長職だ。

 

それまで、大ホールでコンサート、映画を満杯にしていたボク。

 

組紐屋の竜は。。自作の持ち歌を持って、、僅か。。何十万の為に。。

居酒屋や、温泉ランドで唄った事さえある。

個人事務所の家賃や経費、生活費はいるのだ。

銀行から借金をしたボクだ。

 

何十万は、、ようやく月々の足しになる程度ではあったのだが。。。頑張るしかなかった。

 

ノアの給料も払わなくてはいけない。ノアは自分自身の音楽活動を、その時期犠牲にし。。時には、ボクの付き人までして。。

ボクに力を貸してくれた。本当に本当に感謝をしている。

今でもボクの力強い相棒だ。

 

しかしながら。。ノアには当然、マネージャー経験などない。

立ち上げたばかりでの事務所に来た仕事依頼の電話を。まずはボク自身が取り。。。用件を、依頼内容をボクが聞いてから。。

 

彼に、、それを説明し。。。どうするのかを話し合い。。作戦をたて。。彼がスーツを着込み。。局に出向いた。

頭が痛かったのは。。電話口で京本政樹本人が、まさか出ていないと思う相手が、、かなりボク自身の批評をする時だ。

ボクは。。自身の事ながら。。ペコペコと京本に伝えておきますと。。。相手に、謝り続けた事もあった。。今思えば。。そのお陰で??随分と打たれ強くなったと思う。。。

聞く耳も持てるようになった。表向きだけではない、人の本心という本質も考えるようになった。

そんな厳しい毎日が続く中だったが。。。。

マスコミは新聞や、雑誌等で、京本政樹社長業にも大忙し等と書き立てた。。

 

ボク自身も率先と取材に応じた。

必殺を終えたばかりのボクだ。

世間からは、本当に順風満帆に見えていただろうと思う。。

ボクは、、いたって、涼しい顔を心掛けた。

それまでのファンクラブも一旦、閉鎖された。

それまでの所属事務所からは当然のごとく名簿等貰う事は出来なかった。

ボクはノアと相談し。。

一世一代の勝負に出た。

新たなるファンクラブを結成すべく。。

又。。。新たなる自身の気持ちをボクの口からファンの皆様に語るべく。。

 

当然のことながら。。大きな事など出来ない。お金も掛かる。

昨日までの大ホールでのコンサートから一転。。

元の小規模なライブ活動を計画したのだ。

自らの手でチラシもデザインし、印刷にまわした。

京本政樹 青春and Again。。いささか今思えば森田健作さん的な発想のタイトルのライブだ。(笑)

 

 


幸いにも、、世間では人気絶頂の折り。。

小規模ながらも。。東京、大阪、名古屋と。。

一日二回の公演。

全国からかなりの方が駆けつけて下さった。

又、元のファンクラブ。いや、それまでより、より絆が深まった、

より身近かな。。ファンクラブがそうして結成されたのだ。

ファンの方々との触れ合いも精力的に行った。

白樺湖において。。ファン自らがが手伝ってくれた集いもあった。

 

 


(白樺湖ファンの集いにて、ボクと相棒のノア。)

本当に懐かしい限りだ。この時、まだボクは必殺で折った足をまだ完全完治していなかったと思う。本当に感謝だ。

テレビでは。。ほぼ、それから二年間以上の間。。来る仕事は殆ど全てをお受けし。。こなし続けた。断る事等、選んでいる場合ではなかった。とにかく有り難かったのだ。ボクはテレビに出まくった。

ボクは。。吉本の舞台にまで立ったのだ。なんば花月だ。(笑)

組紐屋の竜が。。吉本新喜劇の舞台だ。。。

ビートたけしさん、桂三枝さん、故人 横山ノックさん。

鶴瓶さん、鶴太郎さん。。さんまさん、タモリさん等には。。

本当に。。彼らの持つ冠番組で。。随分と個人的に助けて頂いた。

本当に感謝だ。

 

こうして。。現在、俳優のみならず。。バラエティー出演のノウハウ。。が、未熟ながらも分かるようになったのは。。

それらの事が全て。。25年近く経った今生かされているからだ。

 

ある時期、司会業にまで手を出した事もある。

結果。自分の看板番組も持てるようにまでなったのだ。

本当に。。それからも右往左往色んな事があった。

人生は全て、必然だ!

自身で招いた事であれ。偶然であれ。仕組まれた事であれ。。

たまたまそうなってしまった事であれだ。。。

全てが、必然なのだとボクは思うのだ!

誰が悪い訳もないのだ。

反対に自分が出演出来なくなった番組が潰れる事だってあるではないか。

全てが。。必然なのだと思う。

 

ボクは。。。少しでも。。

そのような自身の経験、観点、視点から

自分が可愛がっている。。一人でも多くの後輩達の見本、道標となれるよう。。おせっかいと言われようが。。(苦笑)

 

これからも進みたい、歩み続けたい。微力ながらも、そう考えている。本当にそう思うのだ。

 

ボクが、先輩達からそうして頂いたように。。。

 

 

よく、たいぴー(藤ヶ谷太輔君)の名を出すが。。

ボクは、「下北サンデーズ」と言うドラマで彼と出会い、今日がある。

今では、彼は。。ジャニーズJr.のお兄さん的な存在だ。

彼の仲間である、キスマイやA.B.C-Zのメンバーなども皆そうだ。彼らとも面識があるが、皆本当に頑張っていると心から思う。スゴイと思う。

我々俳優皆、それぞれにそうだとは思うが。。彼ら、ジャニーズの頑張りは半端ではない。本当に拝見していて感じるのだ。

基礎訓練、技の鍛錬、精神力、礼儀作法は半端ではないと思う。

いつも言うように。。彼らも、あの頃のボクと同じ。。

日々本当に必死に葛藤。頑張っているのだ。

彼らなりの悩みや不安も一杯抱えているのだと思う。

既にデビューしている滝沢秀明君、山下智久君や、田中聖君、手越祐也君等においてもそうだと思うのだ。。

それは。。現在のボクでさえも同じだからだ。。

皆、一杯一杯。。。度合い、内容は人それぞれに違えども、悩みは尽きないのだと思う。

(だからこそ、先日のたいぴーの舞台決定報告等は、本当に心から嬉しく思う。頑張って欲しいと願うばかりだ。(微笑)とにかくっ頑張れっ!)

 

 

一般社会に置き換えても、それは同じだ。普通の生活をしている方、学生さん、サラリーマン、OLさん、学校の先生方、公務員さんなどででさえ、皆そうだ。

僕たちの悩みとは種類が違うとは思うけれど。。。

しかし。。。人間、皆悩んでいるのだ。

そして。。人は悩んで大きくなる。

時に挫折し。。違う道を歩く者。又は間違った方向に進んでしまう人間もいるのも確かだ。

 

少しでも多くの後輩達に経験を伝えてあげたいと思う。

人間、時に長いものに巻かれる事も必要だ。

思う通りに行かない事の方が寧ろ多い。。。

だが、一生一度の人生なのも確かだ。とにかく自分の気持ちを大切に。。時に流れに巻かれながらも。。やはり、自分の思う道を歩く事が大切だ。自身で決断する事が最善だ。

夢を見る事は大切なのだ。

 

しかし、現実は甘くはない。どんな明日が待ち受けているか?

 

結果は自身で受け止めるしかないのだ。

 

悔やんでいても、振り向いてばかり居ても仕方がないだろ?

必ず。。明日(未来)はやって来るのだから。。。

人間、そして。。一人では生きて行けない。

微力ながら、少しでも力になれていれば。。幸いだと思う。

 

 

先輩、経験者は語るだっ。

 

 

 

 

この曲を見つけた。古いテープだっ。

独立劇、真っただ中の自分の気持ちを素直に書いている。唄っていると思う。

25年以上経った今。。それを改めて感じたのだ。

拙い歌、四半世紀前のライブテープ音源ではあるが。。

ちょっと、昔の自分を思い出し感動?をしてしまった←自分でかっ(爆)

 

 

初心忘るべからずとは。。本当に心に沁みる言葉だ!

皆!!頑張れ!!!

ボクも頑張るのだっ!!!



KEEP ON DREAMING

自分だけの人生!自分だけの愛(明日)や、夢を守り抜け~♪♪!!!←久しぶりに真面目に語ってしまった。(爆)

 


「青春andAgain」ツアーにて、KEEP ON DREAMING熱唱中のボク。

 

ボクからのホワイトデーだっ(爆)!!!!!←疲れた。。

 

 

 

 



あっ!!又ガッツ石松さんの話忘れてた。←ホントに自由気ままなボク。