1993年、TBSドラマ高校教師を終えた直後であった。
撮影時から、真田広之先生、赤井英和先生←ボク等三人は現在でも、お互いを先生、先生と呼び合っている(爆)
当時、よくお互いに食事に誘い合って出掛けたり。。
ボクの家に、二人が遊びに来たりなんて事もあったのだ。(微笑)
ある日の事、ボクが真田先生と話をしていて。。
真田先生は、明日BEGINという当時新人アーティストであった彼らと会う約束をしているとの事であった。。
ボクは、赤井先生と、ヒガシ(東山紀之君)と、モト冬樹さんらと食事に行く約束をしていた。
そうだ、丁度大阪から上京されていた赤井さんのお母上も一緒であった。ボクがお誘いしたのだ。。。←実はボクは赤井さん母と非常に仲が良い。(爆)
何故?と思われるかもだが?何故か?(笑)仲が良いのだ(爆)
あっ!24時間テレビで赤井英和さんがマラソンをされた時、
ボクは、大阪会場で赤井さんの友人として。。
ゴールを生放送で見守らせて頂いた事がある。
つまり、番組のゲストとして。。大阪の大きなホール会場に呼んで頂き応援をした事があるのだ。
番組の生放送中、ボクがゲストとして紹介される寸前のCM中の事。
ボクは、大きなバックモニターに映るマラソン中の赤井さんを
大勢の観客、ファンの皆様と共に見守る中。。。
ボクは、何と。。。その観客の中に赤井英和先生の、お母上がいらっしゃる事を。。
そのお姿を発見してしまったのだ。
驚いたボクは、その事を側にいたスタッフにお知らせした。
CM中の出来事だ。
そして。。本番、生放送の画面に切り替わった時。。。
ボクの横には、赤井さんの母上様が立っていた。
言うまでもなく。。大阪の会場にゲストで駆けつけたボクは。。
最早っ。。。何の意味もなく??(爆)
我が子の健闘を見守る、お母上の独断場になっていた事は。。
仕方のない事。。(苦笑)
しかし。。赤井さんのお母上に、本番終了後。。お聞きした言葉は。。
「京本さんに、うち会いにきてんっ」
そうなのだ。。お母上は。。ボクの舞台にも、いつも観劇しにきて下さる。。。
お母さんと、、時に、赤井さんとは何の関係もなく。。
お電話で話している事さえある(爆)
つまり。。それ程。。本当にボクと赤井先生の母上は仲が良いのだっ(微笑)
いやいや。。話が逸れたが。。。
ボクは、そんな訳で。。翌日、真田先生と連絡し合い。。
うまくタイミングが合えば合流しようという話になったのだ。
ボクと、赤井先生、ヒガシ(東山紀之君)、モトさん達がいる場所に。。
少し遅れて。。真田先生とBEGINは現れたのだ。
もちろん、かなり意気投合をした。
本当に楽しい時間であった。
当然、カラオケでも盛り上がり。←この当時はマッサージではなかったのだなっ(爆)
その内に、音楽談義になって行った。
ボクは、当時。。以前のSPEAKで話したように。。
自身の音楽活動を停止していた時期であり。。。
ただ。。真田先生も元々音楽大好き人間である。歌も非常に上手い。
真田先生とボクは。。音楽活動を互いに盛んにやっていた本当に若い頃。。(レコードをリリース。コンサートしていた時期)
よく隣り合わせでレコーディング現場で偶然顔を合わせたり。。
音楽談義をする。。何て事もあり。。
真田先生は、ボクが実はシンガーソングライターである事をこの時期。。。
というより、遡る事。。「里見八犬伝」の時代から良く認知してくれているのである。
BEGINに真田先生が。。
「先生(ボク)は、良い曲を書くんだよっ」
と、ボクの音楽活動時期の事に触れてくれ、賛辞の言葉を。。(照)
それに反応するBEGIN。。。
お酒の席と言う事もあり。。
勢いに任せてボクは。。その時代、まだ新人アーティストであったBEGINにこう言ったのだ。(爆)
「曲を書いてあげようか?」←かなり、今考えると恥ずかしい赤面発言
「もし?気に入らなかったら歌わなくともいいよっ
オレは、とにかく君たちに曲を書いてやる。」←(爆)
いやいや。。。そんな発言をお酒の席とは言え。。
若気の至りと言え。。今考えれば。。よくぞ言ったものだと思う。(汗)
どうしてか???
いやいや。。。相手は、新人と言えども、同じシンガーソングライターであるのだ。
怖いもの知らずとは実に恐ろしいものだ。
でっ。。。
「本当ですか??」と、新人ながらの発言をしてくれたBEGINと、暫し音楽談義に花が咲いた。
どんな曲がいいの?どんな内容がいい??
側で、その様子を聞いていた。。真田先生、ヒガシ、モトさんらの面々。。。。(汗)
さて。。。自宅に戻ったボクは。。。。
うわっ!!凄い約束をしてしまったもんだ!と、なった訳だ。
で、ボクは二日後?曲を本当に書き上げ、彼らに連絡を取ったのだ。←有言実行型のボクだ。(苦笑)
「本当に書いて下さったのですか?」と、驚いた彼らではあるが。。
取り敢えず。。聞かせて下さい。となった訳だ。
ボクは、「どこに行けば良い??」←本当に曲は書いたものの、かなり軽い乗りのボクであった。(笑)
ここでお会いしましょう。。。
そう言われたボクが向かった場所は。。。。
うわっ!!!!アミューズの会議室であった。(爆)
そして。。皆様、BEGIN以外のスタッフの方々が見守られる中で。。
ボクは、自身の書き上げたばかりの曲をお聴かせする事に。。(汗)
「いいですねっ!!」←ホントにっ??かなりホッとするボク。
その曲が。。
実は、BEGINと真田先生がジョイントコンサートを行う事になっていた大阪厚生年金会館で歌われる事になったのだ。
実は、ボクも参加しない?と、真田先生、BEGINからお誘いを頂いたのだが。。
当時、ボクは。。京都の時代劇と「家なき子」を撮影しており。。
スケジュール的に大阪に行く事が無理なタイトな日々を過ごしていた。
よって、真田先生とBEGINがリハを行っている場所には、
時間の隙をみて何度か遊びに顔を出させて頂いたのだが。。
肝心のコンサート当日は、どうしても参加不可能と言う結果であった。
ボクは、そう言う訳で楽曲だけを提供する作家状態。
そうなのだ。確か1994年。
ボクの作った 「I miss you」は、最初は、真田広之&BEGINの歌う京本政樹作詞作曲の楽曲であったのだ。
つまり、今、アップされている懐かしの音源は、翌年の1995年。
逆に真田先生が、今度はスケジュール的にもジョイント参加が不可能。
ボクが、BEGINと共に、大阪厚生年金にてジョイントコンサートを行い。
自身で作った楽曲を今度は、本人のボクが、BEGINと共に歌う事となったという訳である。
つまり、ボクのパートの部分を真田広之先生が歌う。
幻のバージョンが、まだ存在すると言う事である。。。(驚)
今回、ラセツナスタッフA君が音源を発掘し、連絡をくれるまでボクは。。殆ど???(爆)
その記憶を。。。。。。。忘れていたっ(爆)
で、ボクが参加させて頂いた95年のジョイントコンサート時に。。
せっかくだからと思い。。。。
ボクのプロデュース魂が炸裂していたのだろう。。。
BEGINの為に、新たに、「I miss you」だけではなく。。
ボクが、のちに自身のシングルとし本格的にリリースする事となる。
「優しい言葉」という楽曲を新たにBEGINにプレゼントさせて頂き。。
且つ、丁度ボクにとっては、音楽を封印していた時代ではあるが。。
ボクの「Lady~セプテンバーナイツ」を自身の弾き語りで、通常の設定キーより高く歌いあげたと共に。。←綿密に行ったコンサートリハにより、絶好調コンディションだった事を覚えている。(微笑)
BEGINと共に新アレンジを施し披露させて頂いたのだ。
ボクは逆にBEGINの歌の中からボクが当時、凄く気にいっていた。。
「あふれる涙」というBEGINの歌をBEGINの演奏で熱唱。←自分で言うかっ(爆)
ついでに。。封印していた時であったにも拘わらず。。
ボクのボクの為の新曲。
「巡哀情歌(じゅんあいじょうか)」という歌を、本当にこの一夜限りではあるが、披露させて頂いていたのだ。
自身でハーモニカまでを吹き。。(爆)
後に、正式に音楽活動を復活させて頂いてからも。。
この「巡哀情歌」は、一切CD化さえもされてはいない。
本当に。。。こう考えてみると。。
ボクには。。幻の幻という楽曲が非常に多い。
いやいや。。。まだまだ。。ボク自身が忘れている事柄が一杯あるのであろう(爆)
ひとつ言える事は。。。
音楽!
この時代。。。ボクは本当に音楽の根源。
まさに趣味としてではあるが。。
音を、心から楽しんでいた時代であったのだと思う。
歌を作る事自体の思いとは、また別次元である事柄。。(過去SPEAK参照)
「音を純粋に愉しみたい。」「作りたい。」「奏でたい」という気持ちとは別の。。
「プロとしての自覚」、「責任感」や。。「締め切り日」、又「リリース時期に合わせたタイトなスケジュールの遂行」。
「役者とシンガーソングライターとの両立」。
最大の悩みであった「自身の体調の善し悪し」から解放され。。。
大いに音を。。。気の合う仲間と楽しんでいた時代であったと思う。
この事においては、また話す時期、事柄がまだまだあると思う。
又、何れだ。
何の世界においてもそうであると思うが。。
生きると言う事。。。。
志す。目指すと言う事。本来、本当に純粋な気持ちで始めた事が。。。。
いざ表舞台に躍り出ると。。色んな人の意見や、時に、その人その人の個々の感情に巻き込まれたり、時に大きな波に呑み込まれたりと大変である。。。
本当に、生きると言う事。
初志貫徹という事。志を持つと言う事。
自身が自身の思う事を目指す。或いは実現する事の困難さ。
出る杭は打たれる。
正義が勝つには時間がかかる。
日々、実感をする今日この頃だ。
何故?こうも世の中。。。日々、時に一方的な発言。一方向からの物の見方をするのだろう?
うんっ?どうして??と感ずる。。。
納得のいかない事柄が、何故こうも多いのだろう?
「純粋」。。。。その言葉の大切さ。
純愛が、結果。。「巡哀」になってやしないか?
言葉を発する事の難しさを実感する今日である。
時に、その人の言う言葉の意味とは違う意味で、言葉は捉える事は出来るのだ。
今更言う事なのかな?と思う事柄も多く目にし、耳にする。。。
本当の正義、真実とは何であるかも、もう一度、よく考えてみては如何であろうか?
正義の提議というものも本当に難しい。
仮にドラマにおいても新選組が正義か?幕府が正義か?
四十七士が正義なのか?吉良側は本当に悪なのか??
見るものの捉え方。。発言の仕方。。
脚本の描き方ひとつで、どちらにも物事は。。どんな風にも転んでしまうのだ。
言葉の発し方、選び方、使い方は本当に難しいと感ずる。
人間なのだ。言葉選びの、時に間違いもある事は事実だ。
ストレートに意味を理解して頂けないもどかしさだってある。
しかし、つまり。。その言葉ひとつだけを取り。。。
そこの部分だけを誇張、非難中傷する事はいくらでも出来るのだ。
では、逆においてもしかりではないのか?
本当に、ただ純粋に言葉を発言しておられるのか?
その発する言葉や主張は、絶対に間違っていないと本当に言い切れるのか?
間違った言葉選びを、使い方をし。。
結果、誰かを?。。人を傷つける事にはなってはいないのか?
何においても。。
ある人の言葉、メディアから流れる、ある人の発言ひとつに流される事なく。。。。
じっくりと自身の心の目で、冷静な物の見方で判断をするという事が今の時代。。。最も必要で、重要な事柄である気がするのだが。。。
テレビやメディアはボクたちにとって、日々大変大切、不可欠なものだ。
しかし、そこから発せられる事柄や映像は決して、それが全てという訳ではない。
編集点ひとつで、右のモノでも左に見える。上のモノでも下にも見えるのだ。
ひとつ真剣に、その事について語ったとしよう。
しかし、全く編集点なしに、全てを当然。。流す事は出来ないのだ。
当然のことながら時間的制約もある。
又、その流す側が必要とする言葉だけをメディアに乗せたとすれば。。
そのニュアンスは大きく変わって伝わってしまう。。。。
つまり。。我々は、その見たもの聞いたものだけからは、全てを見届けることは出来ないのだ。
真実とは何か?
個々において、本質と言うものを見極める力というものが本当に必要なのだと感じる。
自身の気持ちに問いかけ。。自身の心に忠実であれ。。
何においても。。。
生きて行くのは難しい。。。
ものを成し遂げる。前に進むと言う事には困難が付きものだ。
足を引っ張られる事、すくわれること。。思わぬ事が、人生には一杯あるのだ。
それらの事をよく踏まえ。。自分のやりたい事、歩みたい道を。。
日々、一歩づつ。。ゆっくりと着実に一歩づつ歩んで行きたいものだ。
皆、忘れてはいないか?。。
思いやりという。。優しい言葉を。。。。。。。。
人は一人では生きて行けないのだ。何かを作り上げ、成し遂げる為には、人と人が支え合う事が最も大事な事だと思う。
家族や、友人の支えも必要だ。
病気になったら、お医者様の助けも当然必要だ。
人間、助け合うという事、肩を組み合い。。歩む事の大切さ。
今、自分達にとって、「最も大事な事」とは何であるのかを?
時間は刻々と過ぎているのだ。。。。。
物事を成し遂げる為には時間も掛かる。立ち止まっている時間などないのだ。一体何を自分達は求めているのか?
物事の本質。。。
良く自身でモノを考え。。前を向き、お互い手を繋ぎ、肩を組みあい。。助け合いながら歩いて行きたいものだ。
ちょっと難しい話、SPEAKになってしまった。
又、何れだ。。。。
おやすみなり~だっ
スタスタスタ。。。。