皆さん、色々と他の方のファンの方々も。。
本当に気遣いある書き込み、とても感謝です。本当にありがとうございます。(ペコリ)
さて、、、
今日は、自身にとっても、本当に懐かしいアルバムを聞きながら移動をしていた。
ふと思い出す事があったので。。携帯に記述しておいたら
かなりの。。長い長文になってしまった。(汗)
と言う訳で。。。
長くて困ると言われる方は。。ここで退散して良し(笑)
それでも、読みたいと?読んでもいいと言う人は。。。
三日ぐらい掛けて読んで下さいまし。。。(爆)
読んでは休み、読んでは休み。。読んで下さいませ。。。
正直、今日のは長過ぎてボクも読み返す気力なし。
最早っ!今日のSPEAKは。。SPEAKではない。もう、最早っ!殆どこれは、チョイ短編小説だ。(爆)
あっ!昨日は。。
ボクが以前、テレビ東京の大人向けハイパー特撮ドラマ
「牙狼~GARO~」(ガロ)の主題歌(作詞作曲)を手がけ、この作品の為にだけ。。
牙狼の出演者で結成したGARO Project。。。
通称 ガロプロ←ボクがハロプロに対抗(笑)ボクが命名した。←後付け
そのガロプロのツインボーカルの一人である藤田玲君
今、彼は自らの俳優業の傍ら。。Dustzというバンドを結成。。
ボーカル&ギターと。。今日まで頑張って来た。
そのDustz のインディーズでは、最後のライブがあったのだ。
残念ながら。。どうしても自身の仕事と重なり応援に行けなかった。
本当に残念だった。。。。
しかし。。頑張り屋の彼の事だ。。
きっと素晴しいライブを。。パフォーマンスをし。。ファンの皆様を魅了したに違いない。
ずっと、バンド結成時の頃から微力ながら。。
見守らせて頂いたガロプロの京P(ボクは京本プロデューサーを略し。。この当時、京Pと呼ばれていた。そうだった。ボクも考えたら、山ぴーやたいぴーと同じだ。(笑)京ぴーだったのか。。
今では京さま~京パパまで。。自分でも、何だか本当に良く分からなくなっている状態だが??。。(爆))としては。。
これから、いよいよインディーズからメジャーの世界へと羽ばたき。。
より、一層の活躍飛躍、曲作り、パフォーマンスをしてくれる事をボクは信じている。。藤田なら大丈夫だっ!
藤田 玲!頑張ってくれっ!
インディーズ卒業おめでとう!!(微笑)
最近、ラセツナスタッフA君の頑張りのお陰で。。本当にありがとう。(ペコリ)
Discographyが、日々充実している。。本当に驚きと共に自分でも。。時に懐かしき音源発掘と共に。。
あの時代。。ホント、今まさに俳優、ミュジシャンを両立させようと。。日々頑張っている先程の藤田玲君や、親戚の小池徹平。。
ここで。。日々ボクがお付き合いしている関係で、つい(笑)話題にしてしまう事が多いジャニーズの後輩たちに至るまで。。。
やはり、俳優業のみならず。。音楽にも比重を置き夢中なっていた。。あの頃の自分と、どこか重なり、応援したくなるのだと思う。。
Discographyに日に日に増え続けてゆく自身の手で作り上げた音。
その音、言葉に。。はっと、あの頃を思い出す瞬間が多い。
最近では。。当のA君や、それを初めて耳にしたラセツナを訪れる新しいファンの方々。。又、当時から今日に至るまで。。
本当に永きに渡りボクを支え続けて下さっている往年のファンの方の日々、嬉しい書き込みの感想等を目にしたり。。
時に新しい、初めて耳にした方の、時に。。とても懐かしいとう当時を思い出し感想を書き込んでくださる方のそんな言葉を
大変嬉しくも。。ボク自身も。。
ああ。。。そう言えば、あの時、あの頃このこんな事を思って
ボクは。。この曲を、この歌詞を書いていたんだ等と。。
皆様だけでなく。。時に懐かしく、時にもどかしい気持ちにもなってみたり。。。(苦笑)
本当に音楽というものは面白いものだと思う。
街で。。すれ違い様に。。懐かしい香水の香りを嗅いだだけで。。
その時々の思い出の時間というものに、一瞬で戻る事が出来る。
まるで。。タイムスリップをしたかのような錯覚に陥る事が出来るのだ。。
先日の、Keep on Dreamingも本当に心に響いた。
自分で作って自分で言うのも何だが。。
本当に、それが素直な感想だ。
本当に初心に戻れた。そんな瞬間であった。
ボクのサードアルバムに。。。
「翡翠の気持ちがわかる夜」という作品がある。
ここのDiscographyでも、その内の何曲かが既にアップされているが。。
偶然にも、サイトを訪れた皆様の中にも。。
また、音を一生懸命整理しDiscographyにアップしていってくれている、A君、また。。たまにボクの口から名前の出る(微笑)
あんみつ姫の三田P様からも。。。
本当に偶然だが。。同じ言葉を頂いた。
「翡翠の気持ちって。。アルバム。。。いいですね!!」
いやいや。。。本当に恥ずかしくも嬉しく。。(微笑)
あっ!あのアルバムを作っていた時は。。。と、ボクは。。
ふと、あの時代の、あの頃の自分を思い出して。。。
苦笑をしてみたり。。
本当に音楽と言うものは不思議な力を持っているものだ。
丁度、サードアルバムは、必殺を撮影し始めた頃。。
レコーディングをした時期を考えても23~4歳頃の事。
歌を作った時期となると。。当然、それより前となる訳で。。
ファーストデビューアルバム(全作詞作曲)
いきなり。。無名の俳優がシンガーソングライターとしてデビューを果たした作品は、「ラブレーの15分」というアルバムだ。
この頃から、、ボクは全作詞作曲プロデュースを担当はしているものの。。自分の思った曲のフューチャーが出来ていたかと言うと??
新人のデビューアルバムだ。当然の如く、これはイメージ、イメージでない等と。。ボクにとっては良い意味でも悪い?意味でも。。
自由と言うわけにはいかなかった。当然の事だが(苦笑)
とにかく。。京本君は女心を書くと上手い。と、言われた。
女性の心理を歌い上げたものを中心に構成しなさい。
極力、女性言葉での歌を仕上げた方が良い。。。等と言われ。。
とにかく。。デビュー出来る事の喜びが先であった。。。
必死に作りレコーディングしていた事を覚えている。。
ただひとつ。。
シングル曲だけは。。ボクは自分の意見を一歩も曲げなかった。
ドラマ、ザ新選組の主題歌を担当させて頂く事が決まり。。
急遽決まった事により。。松竹側のプロデューサー様が、とにかく
ボクのアルバムの音源を聞き。。。選ばれる事になったのだが。。
その方が選んで来られた。。もしかして??
ザ新選組の主題歌になり。。ボクのデビューシングルになった
かもしれないという、その曲は。。。
何と!!密会というファーストアルバムの中に収録されている曲である。
いやいや、、、それを聞いた、まだ23歳?頃のボクは。。
本当に。。かなり。。正直、焦ったのだった。
実は今だから話だが。。。
密会と言う歌は、ボクが銭形平次にレギュラー出演していた頃。
ある俳優さんに頼まれて書いた実はボツ曲であったのだ。
ムード歌謡曲調の、男と女のフレーズに歌詞も分けて書いており
ボクとしては。。昭和歌謡曲、銀座の恋の物語風に、男性と女性で唄える、言わばデュエットソングとして作った曲であったのだ(汗)
その頃、世の中では歌う青春スター(爆)渡辺徹君が「太陽にほえろ!」という、往年の名作刑事ドラマで、大ブレイク!!
彼の唄う、「約束」という歌がベストテン番組を飾っていた。
丁度、ボクがデビューアルバムそのものをレコーディングしていたのは。。角川映画「里見八犬伝」撮入前から始まり。。撮影終わり頃に完成といった感じのスケジュールであった。
よく、八犬伝撮影中に真田広之先生とボクは撮影所の片隅で「約束」を口ずさんでいた。
お互い、本当にまだまだ若かった頃の思い出だ。(微笑)
ボクは、八犬伝の撮影と、同時進行でレコーディングの為に曲を、アレンジを完成させるべく。。
東京と京都を行ったり来たり。。。
本当に大変な日々ではあったが。。夢が叶う最初の一歩の出来事。
胸がワクワクと。。本当に楽しい毎日であった。
ボクは、この約束と言う曲を聴きながら。。
「I can’t say…」という歌を、アレンジと共に完成させて行ったのだ。
サビ始まりの歌。
青春ポップスの王道。元々歌謡曲好きのボクにとっては。。
自身のこれからの俳優人生の雛形を。。
この時期、やはり歌う青春スター等と言う位置付けで、夢をみていたのだと思う。
ボクの中では。。レコーディング中から。。
もう既に、勝手に。。これだ!決めていたと思うのだ。
だから故。。密会などと言う曲を晴れがましいデビューシングル。ドラマの主題歌にあげられても。。(驚)
ボクはプロデューサーに直訴をしたのだった。
と、意外に?あっさりと。。。タイトルを日本語にでけへんか?
「I can’t say…」というタイトルの、その曲の変更??
ボクは。。だったら、とまどい。。。
という、タイトルならばどうでしょう??
等と。。レコード会社にも相談せず。。勝手にタイトルを変更してしまったのだ。
デビュー曲、初めてのシングル、主題歌としては。。
いいんじゃないか。。。と、皆に言って貰えたのだが。。
勝手にタイトルを変更したことにより。。
かくして。。ボクのデビュー曲は、アルバムでは、普通に「I can’t say…」と、クレジットされているのに。。
テレビのブラウン管の中にクレジットされる時には。。
「とまどい I can’t say…」と、クレジット。
おまけに、テレビ主題歌と言うのは45秒程度の長さしか画面に流す事が出来ない。
この歌は。。元々、ドラマ主題歌を意識し、初めから制作されていない。
プロデューサーに「45秒に短くしといて。。」
と、言われたボクは。。劇中音楽アレンジと共に編集の際、悩んで悩んだ末に。。。
サビ始まりで始まるこの歌の
最初のサビの部分を切る事にしてしまったのだ。
テレビでは、ドラマ終了と同時に。。
いきなり。。サビの部分が飛び。。。
「いつも、おろしてた髪を後ろで束ねると♪♪」と、歌の本編部分から流れる事になり。。。。(爆)
もう、晴れがましいデビューシングルの歌のキャンペーン。。
宣伝になっているのやら?なっていないのやら??
おまけに。。画面に流れる歌のタイトルは「とまどい I can’t say…」と、なっている訳だ。
ボクは。。正直、レコード会社と、所属事務所にこっぴどく怒られたという次第だ。
幸いにも。。。八犬伝の公開直後と言う事も幸い。
ヒットチャートの16位ぐらいには入っていたという結果になり。。。。実は、その後、シングル二弾目は、必殺仕事人の挿入歌を又、引き続き担当させて頂く事が決定したのだ。
ボクは。。これ以降。。曲作りの自身への課題として。。
初めのフレーズでポンと覚えやすい。。
ワンコーラスをなるだけ45秒以内で。。
切る事を想定し、歌を作る事をこれ以降、、学習することになるのだ。
ただ。。これ以降のボクのこの音楽活動の苦悩はこれ以降も続くことになる訳だが。。
この時はまだ、そんな事はボクには、知る由もなかったのだ。(爆)
以前のSPEAKに、それ以降の事は触れてあるので。。ご参照を(笑)
しかし。。それ以降。。主題歌,挿入歌を作らせて頂く度に
30秒だとか?45秒範囲の事で驚く事はなかったボクが。。
牙狼の。。。。。15秒でお願いします。との発注には流石に
ひぇえええええ。。。。。。。だった。(爆)←ガロプロの事
あっ!丁度、デビュー曲の歌入れをしている時。。偶然、同じビクタースタジオの隣でレコーディングしていた松崎しげるさんがボクのスタジオに入って来られ。。
プロデューサーの方に正式なご紹介をして頂き挨拶をさせて頂いた。
少し。。この「I can’t say…」をスタジオのソファーに座り聞いておられたのを覚えている。
いやあ、、、あの大歌唱力のある松崎さんに聞かれるのは本当に
恥ずかしかった。(汗)
この頃から。。。既に、ボクの一番辛かった事は。。
何と言ってもレコーディングと撮影の掛け持ちだったのだ。
デビュー曲や最初のアルバムの頃は。。
別に。。夢が叶ったという喜びが先に立ち。。。
拙い歌であろうと、、その頃のボクは、正直、そんなに気には、まだしてはいなかったと思う。
が、セカンドアルバム。。そしてサードアルバムと続いて行くと同時に。。段々と、ボクの音楽への夢や、喜びは曲作りと共に大きく苦悩して行く事になるのであった。
オケ録り(演奏録音)の時はいい。
別に寝不足であろうと、例え風邪を引いていようと。。
とにかく、自分の作った音楽が、アレンジャーや演奏家の手により
どんどんと膨らみ。。命を吹き込まれ変化していく快感。
これは、本当に。。この瞬間が今でもボクは大好きだ。
本当に自身の手で生み上げたものが。。どんどんと。。
成長、変化して行く。
時に。。それは頭の中で作り上げた自分の設計図通りに。。。
時に。。アレンジャーの手に掛かり。。思っても見なかった方向大きくに変化して行く。。。
ひとつ、正直な事を言わせて頂くと。。
自身が?または、プロデューサーさんの選択した編曲家にの施して頂いたアレンジにより。。
うわっ!!こんな方向に????と、焦る場合が。。
当時、ド新人の頃はかなり。。。。あった。
本当に焦ったり。。時に落ち込んだ時もあったのだ。
こんな方向じゃなかった。。。と。。。。。(汗)
今ではボクは本当に自分とウマの合う。
この曲なら。。絶対この方にという感じで編曲家選択には本当に、特に慎重になる。
ボクの場合は、もちろん初期の場合はお金もなく、デモテープなるものを自宅のカセットデッキの前で。。ギターをポロンポロン奏でながら歌をカセットに吹き込み。それを落し。。極力、その歌のアレンジはこんな感じでという既成のヒット曲、或いはアルバムの曲をアレンジャーに聞いてもらい。。依頼をしていた。
例えば。。おやすみなさいと。。男たちへという曲があるが。。
アレンジャーの方に野口五郎さんの曲を持って行き。。
この部分の、ここのフレーズをこの楽器を使って、こんなイメージでアレンジして頂けますか?などと、依頼したときがある。
しかし。。色んな、良きもせぬ、うわっ!!という体験を経て。。
だんだんと、音楽の友、僕の親愛なる相棒のノア(上杉勝也)と共に。。。
徐々にシンセ、PCへと機材を増やし続け。。
今では、ノアのところで。。本当は軽く自宅録音アルバムを何の遜色もなく??作れる程の環境には現在ではなっている。
特に、ノアは音楽を元の本職として、ボクの音楽サポートをしてくれる時以外では。。ボクの俳優の現場からは遠の昔に離れ。。
日夜、彼の彼自身の好きな歌を作り続けている。
彼は実に幸せそうだし。。本当にボクの作る、ある意味下世話な歌謡曲調等とは違い(爆)
素直な心にしみる。。どちらかというとフォーク調。
素晴しいメッセ-ジソングを作り人生を謳歌している。
先日も、、、「ノア!ホントに幸せそうだな!」とボクが言うと。。
「幸せなんだなああああ、、、、これが!」と本当に嬉しそうであった。
そんな、ノアを羨ましくも感じる。
彼は自身の音楽活動を地道ながらも、コツコツと行いつつ。。
ボクが又。。。「やるぞっ!ノア!」という、ひと言を心待ちにしていると言ってくれた。
その時は。。ノア!又手を貸してくれっ(微笑)
5月のライブ頑張ってな!!
ボクは。。そのノアの答えとは真逆なことにずっと苦しんできた。
歌を作り。。アレンジをし。。オケ作り(カラオケ)までは良いのだが。。。
肝心の歌入れの時に。。。。
あの頃からボクは苦しんでいた。。。。。。
深夜まで、時には、早朝まで。。撮影をし。。
そのまま歌入れだ!!!うわっ!声が出ない?風邪っぽいっ
もう、、本当にまったく嫌になる。
デビューアルバムの頃は、それでもまだ歌が発声が出来ていない
ながらも。。本当に拙い歌入れながらも楽しかったと言った。
しかし。。セカンドアルバムの頃は。。ボクは、もう必殺仕事人でブレイクしていた。。。
日々、撮影。。歌作り。。。そして取材。。テレビゲスト出演。
いやいや、、、こんな状態では、もう最悪身体が幾つあっても
足りなかった。本音ではかなり弱気になっていっていたボクがいたのだ。
だから。。おそらくボクは。。今、頑張っている歌と踊り、お芝居。後輩達の大変さ、厳しさ、過酷さがよく分かる。
当時の場合のボクは。。歌作り、プロデュース、番組出演。。そこに本職の俳優業、それも時に現代劇、時に時代劇。それに、ダンスの代わりにボクには立ち回りだっ。
本当に、夢を追いかけ。。それが実り。。本当に幸せだったが。。
せっかく夢をみて作った自身の歌なのに。。。
仮歌時には声が出ていたものが。。思う日には出ない。
発売日は決まっている。
時間はずらせない。。。本当に途方にくれた事もある。
夢と。。まさにそれが中々形に。。自身の描いた図式、設計図通りに行かない。。自身で作りだし。。自身の手で壁にぶち当たる毎日であった。
カラオケ録りに遂に撮影のスケジュールの都合で行けない。
どうしても参加出来ないときも。。この頃から度々起こった。
ボクの歌のキーを完璧に把握してくれているノアとサードアルバムからボクが絶対的に信頼していた
故人 大谷和夫さんにカラオケ現場を全面的に任せたり。。。
そして。。京都から戻り。。そのままスタジオに歌入れの
為に直行。
あれ?????何で???デモテープ作りの時に出ていた声が出ない??何で??
風邪の時、疲れによる時、、様々だったが。。
もっとも最低な事がわかった。
ボクは元々の声が高い。。キーが高い!G#位がボクの上の音域だ。
しかし。。お芝居、特にボクは時代劇の時等は声のトーンを変える。。
又、芝居の役柄によって。。自分の声の高さの時が良い方向に行く時、、例えば。。ちりとてちんの小次郎のようなすっとんきょうな三枚目役の時には声の高さを利用する。
時代劇ならば弱点部分を補い。。低く渋く変化せることを学ぶ。。。
長い俳優生活で身に付いていったものだ。
今なら。。。むしろ逆に自分である程度自由にコントロール出来るようになった。経験は力なりだ。
例えば。。高校教師の藤村先生を演じているときの響くように話すボクの声と。。
時代劇の喉を絞ったような声。。。
ちりとてちんの小次郎のすっとんきょうな高い声は違うとわかって頂けるだろうか?
ボクは。。いや、もちろんボクだけではないと思うが。。実は役者はボクの場合は心掛けて。。役によって。。身体の姿勢も、
声の高さも変化させているよう考えて芝居を作っているつもりだ。。。(笑)
自慢ではない(苦笑)。。。必要とされた事により。。
或いは自身の弱点に気付いた故に勝手に身に付いてしまった技というべきだろうか?
しかし。。。あの頃のボクにそのような技や特技、逃げる技術などはなく。。。。。。
時代劇、俳優の仕事から帰ってすぐスタジオへ。。
まるで発声が違う人間の喉の構造上、すぐには人間は、元のトーンに戻らない。
キーが違う。いやっ出なくなっている。
うわっ!!と言った経験ばかりであった。
本当に苦い経験である。
確かに。。。ああ、この時。。。
あっ!このアレンジって。。。俺が。。ノアに演奏を手伝って貰い、或いはアイデアを求め。。
デモテープの段階で。。既に、このイントロで来てたんだよなあという曲がある。
(例えば、海岸線ストーリーの全体像。印象的なギターのイントロメロディー。。あれは、007からのヒントで。。既にデモの段階で出来ていた。本当に思い出したらキリがない。
大谷和夫さんと、よく共作編曲クレジットになっているのはその為だ。
大谷さんは、こちらの意図を汲取。。更にその意図をより進化させて聞かせてくれる。驚き、喜びを与えて下さるアレンジャーであった。本当に亡くなられた事が残念でならない。。。。)
中には全く。。。意図と違う、下手すると。。そこを捨てた?!!(愕然、、、全然別もの。。。と落胆した時も正直あった。)
本当に音楽を生み出し。。それを歌う。
同時にお芝居を朝から夜まで。。。
まして、、、ジャニーズの皆の様に踊りまくる。バク転しまくり
歌う。。
ボクが、当時、、立ち回りをしては、レコーディング。その上を言っているであろう。体力的にも。。。本当に凄い努力が必要だ。
だから。。。ボクには良くわかる。
だから。。。いつも!「頑張れっ!そして。。羽ばたけ!」とエールを
送りたくなる、おせっかいなボクがいるのだろう。(苦笑)
そして。。。。食事の後にはマッサージとなるのだっ(爆)
翡翠の気持ちがわかる夜なのだ。
この続きも。。。また何時かだ。←いつかは?まったく分からん
おやすみなり~
あっ!!確かにボクも最近、このサードアルバムを
恥ずかしながら(笑)最近良く聞いている。
21歳から23歳ぐらに作って楽曲だが。。
我ながら。。。あんな詩を良く書いていたもんだと。。。
人ごとのように感心をするボクがいる。←自画自賛で申し訳ない。
出来れば。。。。歌を録り直したい。(爆だっ)
又、音楽談義、何れ書かせて頂く事にする。スタスタスタ
この当時、アルバムの中に必ず、自身で描いたイラストなどを歌詞カードに描いていた。
ファースト、セカンドと続いて。。。
サードアルバム翡翠の気持ちがわかる夜。録音終了と共に
ボクは必殺仕事人で7メートルからの転落事故を起こす。
このイラストは。。。
締め切りに間に合わないとせかされて。。。(苦笑)
手術をした右足をベットの上に高く吊るされた状態で描いたものだ。
イラストの中の詩も。ベットの上で書いた。
俺はいったい?ドSなのか?ドMなのか??
楽しいのか??苦しいのか??
幸せなのか??不幸せなのか???
ふと、病院のベットの横の窓を見ると。。
夕日が綺麗に見えていた。。
ふと、「翡翠」と言う文字が浮かんだのだ。
その夕日の色とともに翡翠を連想したのだ。
あっという間に夕日は落ちて暗くなった。
看護婦さんは。。早く窓を閉めて寝ろと言う。。。
俺はいったい?病人なのか?病人じゃないのか??
怪我人ではないのか??
足以外は悪くない。。。
それでも、、、早くおとなしくと言うのか??
それでも、、、明日は撮影に来いと言うではないかっ(爆)
翡翠って高価なものなのか?高価ではないのか??
ふと、そんな時。。
ボクには翡翠の事がわかった気がしたのだ。
翡翠の気持ちがわかる夜。
完