必殺仕事人、出演時っ・・
1984、5年当時の事だっ
ボクは、必殺の映画撮影中に足を大骨折するという事故を起こしたっ(過去SPEAK参照)
丁度、その大事故の前年度ぐらい?・・
ボクは晴れて、俳優と共に・・シンガーソングライターデビューをしており・・(SPEAK参照)
ボクの当時所属していたプロダクションとレコード会社側の方針で・・
ほぼ、ボクは・・どんなにレコードが売れようが、コンサートをこなそうが・・
ボクがテレビの歌番組で歌うという事は・・
必殺や必殺の映画などのキャンペーンにおける特別な番組などの他には・・ボクの場合は。。。ほぼ・・なかった。
事務所の方針であるから仕方ないのだが・・
今考えれば・・この方針、又・・必殺!という大ヒット時代劇が・・組紐屋の竜として。。それこそ大きく当たってしまった事が・・
ボクにとっては、大変、幸福な出来事であり・・かつ、京本政樹は実はシンガーソングライターであると言った事が。。
ほぼ世間に知られていない大きな要因であるから・・
人生とはおかしなものだっ←必殺の主題歌や挿入歌、又劇中音楽までを作っていたのにだっ(爆)←これも。。過去過去スピーク参照だっ
実は・・
又、ひとつ思い出した事があるっ
当時、KBS京都という・・京都を拠点にしたテレビ、ラジオ局で・・
「ハイヤングKYOTO」と言う、伝説の大人気。。。生放送のラジオ番組があった。
ボクは・・テレビでは歌ったりしない方針であったのだが←当時、シンガーソングライターは滅多にテレビに出ないという形が主流。←所謂、流行っていたっ。。。(爆)
だが・・
ラジオでは皆さん精力的な活動をしており・・ボクもFM局で自分の冠番組を持ち、活動をしていたぐらいだっ。
他のシンガーソングライターの方々も・・
パーソナリティーという形で、テレビではあまり、お見かけしないニューミュージックのシンガーの方々が。。
ラジオでは自由な語りで。。深夜ラジオを湧かし、若者に人気を得てらした。谷村新司さんやユーミンさん等々、ほぼ皆だっ・・
皆さん、、さだまさしさん。。はじめ、、とにかくオモロいっ←話し上手であるっ
歌を書ける人は。。。話も上手く、話題豊富で、、ユーモアがあるっ
、、、、大変おもろいっ
ボクが足を骨折、事故を起こす前・・
ボクは、東京のニッポン放送や文化放送の番組はもちろんの事・・
地方局にも、キャンペーンという形で随分とテレビ、ラジオに顔を出させて頂いた。
が・・
レコードを流して貰うと言うだけで・・
あまり歌を唄ったという記憶は・・
ほぼ・・
ないっ(爆)
先程のハイヤング京都だが・・
当時、週一と言う形で・・
ボクと、シンガーソングライターとしては、同期ぐらいということになるのだろうか???
いやっ。。レコードデビューは彼の方が早く。。芸能界そのものは、、ボクの方が先輩だったようなっ。。。。
北海道出身の・・
蓑谷雅彦君という・・
素晴らしく歌の上手い・・シンガーソングライターがいたっ
当時から。。彼はあくまで。。出身地の北海道から芸能活動の為に関西、関東へと仕事に出向いていたが。。
彼は今は、より本格的に北海道を拠点にし・・
みのや雅彦と名前を平仮名に変え活動を精力的に行っている。
松山千春さんと北海道という点も、拠点という点も似ているが。。
実は、、みのやっちは。。松山千春さんに憧れてシンガーソングライターになったという経歴の持ち主で。。
歌も、千春さん同様ムッチャ上手いが。。実は。。
声も歌声も。。。すごく似ているっ
↑
すまんっ。。これは、、本物の松山千春さんだっ(真ん中は研ナオコさん)
みのやっちが、、千春さんのモノマネをボクに披露してくれた事があるが。。
みのやっち。。言っておくが。。
モノマネをせんでも。。。既に、、似ているっ(爆)←歌っ。。うま~っ
ちなみに。。松山千春さんにはボクも可愛がってもらっているが。。みのやっちも、、、随分と可愛がってもらっているそうだっ
才能は一杯。。。
歌は上手いっ
話も。。。。思いっきり、、オモロいっ。。。。
ボクは、必殺で足を骨折する、少し前頃に・・
レコードのキャンペーンという形で、みのやっち←最近ぼくは、みのやっちと彼を呼んでるっ←何故かは忘れたっ
とにかく、1984~86年当時の話である。
かなり忘れている部分が多いっ
とにかく、ボクは・・みのやっちがパーソナリティーを務めていた「ハイヤングKYOTO」という伝説的な、関西のラジオ番組にゲストとして何度か?お邪魔させていただいたっ・・
話し上手、シンガーソングライター。。。。年は、、ひとつふたつボクより下だったと思うが。。。
当然。。。。ボクとは、、ウマが合ったっ
つづく。。。。。。。(爆)
←その2は。。。。いつかは、、、わからんっ(汗)
おやすみなり~スタスタスタ。。。。。。
久々に出たっ!このパターンっ←許せっ