又、ひとり。。。
偉大な方が亡くなってしまった。。。。
04年8月前頃の事。。
僕が、25周年記念のZepp東京ライブを目前に控えていた頃の事である。。。
昔から親しくさせて頂いている、あべ静江さんに誘って頂き。。
小川知子さんの当時経営されていたお店に。。。皆で食事に出掛けた事がある。。
歌手の黛ジュンさんも来られて。。
僕は。。。大変緊張した食事会であった事を思い出す。
その黛さんのお兄様が。。。
偉大な作曲家であられる三木たかしさんである。
本日。。。。報道が、、、皆様の驚いた様子が各メディアで騒がれているように。。
三木たかし先生の死去は、、、
僕にとっても。。本当に言葉が出ないくらいショックな事である。
本当に優しい方であった。
僕は、その食事の席で三木先生に声を掛けて頂き。。
「京本さん、僕のやっているラジオにゲストになんて出てくれないですよね?
僕ね。。MIKI’s LIVE HOUSEというライブ形式のラジオをやっているんだけど。。
京本さんってシンガーソングライターやってらっしゃるでしょ。。
僕が京本さんの書いた曲を良かったらアレンジさせて頂きたいので。。もし?良かったら?」
僕は。。。。。。かなりの感激で言葉が出なかった。
三木先生が,僕を。。この僕がシンガーソングライターである事を知っていて下さったのだ。。。。。
あの、テレサ・テンさんの”時の流れに身をまかせ”や。。石川さゆりさんの”津軽海峡冬景色”や。。
もう数え上げたらキリがないくらいの大ヒット曲をお作りになられた偉大な天才作曲家。。。三木たかし先生が。。。
翌日、三木先生から僕の携帯に直々にお電話を頂き。。
トントン拍子に話は進んだ。
僕は、、、この時期。。自身の25周年記念アルバム苦悩を作り上げた時であり。。。
“薄桜記(さくらうた)”を書き下ろしレコーディングを終えたばかりの頃である。
僕は、、、恐ろしくも。。おこがましくも。。
本当に恐る恐る。。自身の作詞作曲したこの歌を三木たかし先生にお送りしてみた。。。本当に緊張した事を覚えている。
三木先生から。。すぐさま、お電話を頂いた。
「京本さん。。この曲大事にした方が良いよ!
本当にいいよっ
やろうよっ
この曲やろうよっ」
先生はかなり声が弾んでおられた。
三木先生に褒めてもらえた事だけで充分に僕は満足であった。
三木先生の特別アレンジで。。三木先生の愛弟子の女性歌手の方のコーラスとともに。。。
一発本番。。リハ一回。
本番一回と言う。。無謀なレコーディング方式、ライブ方式で
都内のスタジオでラジオ収録を僕は行った。
三木先生のアレンジ。三木先生が演奏をされた僕の唄う。。
僕の作った”薄桜記(さくらうた)”である。。
本当に、、、忘れられない忘れられない想い出になってしまった。
本当に偉大な方であった。
優しい方であった。
ご自分の曲でない僕の歌を本当に本当に満面の優しい笑顔で褒めて下さり。。
演奏を、、僕の歌入れが終わったと同時に。。
お弟子さんを僕に紹介しながら。。
「この子に曲を書いてあげてよっ」
「僕、、、京本さんのクリスマスディナーショウ駆け付けて一曲演奏しちゃおうかなああ」
いやいや。。。。そんな滅相もないと。。。
僕は。。本当に緊張の緊張で固まってしまった。
それからもご連絡を下さり。。
本当に色んな想い出が駆け巡り。。。
言葉が出ない。
ご冥福を心から心から。。。お祈り申し上げます。
三木たかしさん編曲、演奏、僕の作った”薄桜記(さくらうた)”
大切に、、させて頂きます。
>>Discography
「薄桜記(さくらうた)三木たかし先生編曲スペシャルバージョン」