Speak

続!ディナーショーを始めた。。。。あの頃2だっ

今でこそ、若い方がディナーショーなどを行う事は・・そんなに驚くことでもなく、日常茶飯事の事となっている。。
1985年時期。

まだ26歳のボクは、当時。。ディナーショーを行った史上最年少の人と言われた。←言っておくが。。自慢ではない(爆)。
いやいや、ボクにとっては。。ファンの皆様にはまだ公言してはいなかったのだが。。
公に宣言する事は当然禁じられていた、、心中は大変苦しい時期であった事を思い出す。。。。(過去のSPEAK参照)
ディナーショー??
正直、自分で観た事さえなかった。
何となく?演歌の歌手の方や。。
又は、杉良太郎さんなどが行っている大人のショーかな?というイメージ。
ボクの場合、この時代は。。
シンガーソングライターとして、自作曲でのライブやコンサートを中心に日々活動をしていた時期であり。。。
その少し前に、大阪の新歌舞伎座で。。
後に、ボクの制作したレビュージャパネスク(過去のSpeak参照)の雛形となるロックコンサートを
していた頃だと記憶している。
いきなりディナーショーと言われても。。
正直。。。??と言う感じであった。
ボクは、レコード制作が、全て自作曲のみ。。←シンガーソングライター(爆)
コンサートの構成なども殆どは、自分で考えていた。
唯一の強い味方は、公私ともに。。ノア(上杉勝也)のみであった。
本当にノアには感謝だ。。。(ペコリ)
でっ。。。
ひとつ救いだった事。
ボクには、必殺仕事人の為に作った「哀しみ色の・・・」という自身で作り唄った挿入歌や。。
なんでも屋の加代さんこと、鮎川いずみさんの為にお作りした、「必殺仕事人激闘編」の主題歌になっていた、ボクが作詞作曲をした。。「女は海」・・という少し演歌系の曲があった。
あまり、この時代。。正直、自身では気乗りしていなかった曲(爆)は救いであった。という訳だ。(爆)←何となくディナーショーに合っていたというだけであるが。。(爆)
前日までも必殺の撮影。ディナーショー終わりでも必殺で、京都戻りというスケジュール。。。
リハーサル時間も、ほぼない。(汗)
足はまだ悪い。、、、、、、
事務所とは距離が置かれていた大変辛い時期。
ボクの初ディナーショーは、ボクのスケジュールの関係もあり。。
大阪の東洋ホテルという場所で産声を上げ、行われた。
26歳。。その当時、史上最年少ディナーショーの人。という挑戦であった。
今考えれば。。シンガーソングライターの方が。。ディナーショーという時代でもなかったと思う。
でっ。。
構成を自分でしたボクは、必殺の歌も盛り込むと同時に。。
その時期、コンサート以外やった事などないのだ。(汗)
クリスマス。

ディナーショー。
いつもより、ディナーショー用に、おめかしをしたファンの方々。
しかし、ファンの方々も、ディナーショーへの参加は初めての方が多かったと思う。。(笑)←とにかく皆、、、若かった。
ボクが26歳だ。ファンの方は、親御さんに連れてきて貰う形の十代の方も当然いる。
その中に。。中村主水こと藤田まことさんのお嬢さんお二人もいらして。。。
(余談だが、「なんで組紐屋の竜に、中村主水が金を出さんとあかんねん。。。」と、撮影所でずっと笑い話のネタにされていた。
←ディナーショーは、食事も出る。よって。。金額もかなり高い。
人数の制限もある。座席指定。。。ご招待が非常に難しい。。
この時期、特にボクにそのような力はなし。。
という事で。。。お嬢さんお二人のチケットを主水さんが買って下さったという訳だ。。本当にありがたや。。。(ペコリ)と言う訳だ。(爆))

その手前で、クリスマス用に「パーティー」という、特別アルバムを制作し始めていた事もあり。。ボクは「メリー・クリスマス・ナイト」と言う自作のオリジナルクリスマスソングを撮影所で作っていた。←これはかなりの救いであった。(爆)
何が言いたいか???
長くなったので。。
手短に締めさせて貰う。(爆)
ボクはディナーショーの選曲の。。。。
一曲目に「Ambivalence」というコンサートで、その当時必ず冒頭に歌う派手な歌をやってしまったのだ(爆)。
で、初ディナーショーの冒頭から、ドレス姿のファンの皆様は皆、一斉に立ち上がり手拍子である。。。(汗)
あれ?汗
これディナーショー?コンサートになってない?ステージと身近な分、ライブか?
ボクは、後で主催者側のホテルから。。お叱りを受けた。(爆)ホテルの床が抜ける。他の宿泊のお客さんから苦情が来る。品位を考えて下さい。
。。。。非常に汗な出来事であった。汗
それ以来・・
ディナーショーや、時に。。大人な歌を歌う事も想定し曲を作るようになったボクである。
つまり・・ディナーショーでは、必殺の歌だけでなく。。
「愛した分だけ」・・や 「Yes, Truely Love」など・・本来自分が目指していた方向でないものが大変役に立つ結果となり、現在があると言う話。(爆)
50歳になった現在、思わぬ形で。。それらの楽曲は大事なものとなっている。
ちなみに。。その後。。東京全日空ホテルの、初ディナーショー!こけら落としはボクが努めさせて頂いた。大変光栄な任務ではあったが。。
これについても。。何れだっ(爆)
その後の、ボクの膨大な音源の中に。。。ディナーショーの為だけに披露した自作曲を見つけた。
今宵ロマンティックナイト
おやすみなり~



今から5年前、25周年記念クリスマスディナーショーの写真。
(横浜インターコンチネンタルホテル&東京全日空ホテル)
そうかっ。。。世間ではゴールデンウイークなのかっ
本日、太一(早乙女太一君)の舞台に行ってきた。
「MISSING BOYs ~僕が僕であるために~」

尾崎豊君の楽曲を使い構成した音楽劇ともいうべき芝居だ。
太一は、普段の妖艶な美しい女形の姿の全てを捨て。。
普段の早乙女太一17歳という姿で熱唱していた。
なかなか堂に入った熱唱振り。。
良かったぞっ~!太一!!

太一も又。。。何れ。。。レビュージャパネスクかな?(微笑)
時代は確実に変わっている。
時は過ぎているのだと感じた。。。
音楽活動時期、ほぼ同期の。。
一緒にメシを食ったこともある仲間尾崎豊君が。。
伝説になっているのだ。。。
加山雄三さんも観に来られていた。
ボクは。。。。少し不思議な感じに包まれた思いで舞台を観劇させて頂いた。
又。。。そんな思いも。。。何れだ。。。。
スタスタスタジョギング
あっ!殿~(滝沢秀明君)滝沢演舞城!千秋楽無事おめでとうございました~
皆、本当に頑張りましたねっ!
又次ぎなる目標に向けて頑張って下さいね!
皆っ!お疲れさまでしたっ(微笑)

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