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ディナーショーを始めた。。。。あの頃(爆)

1985年の12月という事は。。


ボクが、まだ必殺をやっている最中でもあり。。

 


年齢的にも、まだ若干26歳。


昔から応援して下さっているファンの皆様は、よくご存知の話だとは思うが・・(過去SPEAK参照。)

 


ボクの人生にとっては・・


今思えば・・


本当に振り返ってみれば・・(苦笑)


最悪な時であったのだろうと思う。。

 

 


だが、。。。。。。。

 


若さ故とは、良い意味で、大変恐ろしいもので。。

 


最悪な事態。。。


つまり、必殺の大ブレーク時期に所属事務所を。。


若干26歳過ぎで辞める等という無謀な行動や行為。決心をしていたと言う事実。。

 


しかし、あの時代。自身の心の中はと言うと?


考えてみると。。。

 


おそらく??


自身の置かれた状況を最悪とは思いつつも。。

 


まだ、どこか意気がった思いや。。


未来に対する自身の描く、若さ故の明るい未来への期待感や。。

 


絶対に自分は潰れない。


現在以上にきっと羽ばたいてやるという強い意思。


思い込みの気持ちの方が、不安な気持ち以上に上回っていたように思うのだ。

 


実際は。。


現実は。。

 


いざ、大変な荒波の中の航海に出てみると。。

 


まさしく、苦難な航海ではあった訳だが。。(苦笑)

 

 


ボクは本当に運が良かったのだと思う。…

 


大変な時代ではあったのだが。。


良き先輩達から教わってきた。。先を読む力であったり。。それまでの多くの教え。。事柄が。。

 


自分を、結果助ける大きな力になったのだと思う。。。

 


やはり生きていく上で。。一番大切な事。

 


それは、人との出会い。

 


人との繋がりだと思う。。。。

 

 


人は人により導かれる。又、人に支えられるという事の大きさ。。

 

 


今になり、こうして結果を語れる事ではあるのだが。。

 


人との繋がりや出会い。

 


支え合うのだという気持ち。。人を思いやる心は、本当に大事なものなのだと思うのだ。←しみじみだ。

 


人間、楽な事。


ついつい夢見がちな思いが先行してしまうものだが。。


生きて行く事は、そんなに甘いものではない。


まして。。夢を叶える事は並大抵な努力をしたとしても。。結果は様々である。


しかし、言える事は、真面目に真摯に前を向いて生きてさえいれば。。


どんな形でさえ結果はついてくるのだと思う。


働かざるもの食うべからず。。本当にそうだと思う。


きちんと真面目に努力をする気持ちや行動がなければ。。


つまり、人間、楽を考えた時。。。


逃げを考えた時。甘い事ばかりが頭を霞めた瞬間。足をすくわれる。


大きな、そこには落とし穴が待っているものだ。


かと言って。。人間は所詮弱いものだ。


ムチを打たれていてばかりでは、心も挫けてしまう。


時には飴を頬張りたいと思うのも、又心理である。


マラソンランナーでも、時に水は飲むではないか。。


しかし、飴を与えて貰う為には頑張っているという。。


人に認めて貰えるだけの努力。

 


無心の姿が必要だ。

 


つまり、無心の心というのは、飴を貰う事を当たり前という前提での行動や働きをしないと言う事。

 


人は無心な姿。

 


一生懸命さに反応をする。


頑張っている姿に心を打たれ、時に飴を与える。

 


卑しい心や、つまらない計算が見えてしまうと、そこに人は力を貸そう等と言う気持ちは起こらないものだ。


やはり無我夢中と言う言葉。ボクは大好きだ。

 


自分の目指す事の為に最大の努力をする。

 


我(自身)を大きく持ちつつも、無我夢中に苦しくとも毎日を頑張る。

 


いやいや、少年よ大志を抱け。。働かざるもの食うべからず。

 


無我夢中に頑張れ。。。

 


頑張ってさえいれば必ずや何かが。。自身の明日が見えてくるのだと言うところか。。(笑)。

 


前を見て歩いて頑張っていれば良い事もあるのだ。

 


時に、飴も水も貰える事だってある?(微笑)。。と言うところか。。。(笑)

 


いやいや。。今日のSPEAKは。。

 


実は。。(爆)


そんな大変な経験を語ろうとしている訳ではなく。。


少し思い出した事があったのだっ。


1985年12月のクリスマス時期。ボクは、まだ26歳であった。。


シンガーソングライターとしと、曲作りやレコーディングに日々追われ。。


ライブにコンサートにと明け暮れる毎日。。


必殺仕事人の撮影しながらも、舞台に映画にと忙しく飛び回ていた日々であった。


海外にも車椅子姿で撮影に出掛けた事さえあるのだ。


ギブス姿で1ヶ月の舞台もこなした。←それもこれも何れだ。(爆)


とにかく、自分の時間などは、全くなかった。

 


大事故に合い、足も骨折をし。。。(過去SPEAK参照)


東京の自宅マンションにさえ戻れなかった日々。。。


ボクは。。

 


当時の所属事務所から、ひとつの大きな仕事を伝えられた。

 


ディナーショーである。

 


26歳。アイドル風?シンガーソングライター(爆)兼、時代劇俳優??(笑)真っ只中の時期の事。。。

 

 


と、この続きは。。


又だっ。。


眠くなったっ


おやすみなり~

 


なんじゃそれっ??って感じだが。。


すまんっ

 


眠いっ(爆)スタスタスタ。。ジョギング