いやああああ~
又、今朝も早うから移動をしているので・・
先日のチョイ短編小説に本当は書いていたのに。。
消してしまったという・・幻の話を書いておく事にする。(笑)
今度は消さないよう注意せねば・・(爆)・・と言うより・・やはりチョイ短編小説よっ・・の番外編にしては、
かなり長編私小説風なので(汗)。。。。。
もう明日早いからとか。。。もう眠たいとか。。
長いのは嫌いだという方は。。悪い事は言わない。。。
これで止めてヨシだっ!と言うより。。。止めなさい!
ついつい読み出してしまった人。。
例えつまらなくても。。
いつもの様に・・勝運だとか、海老だとか、俺足だとか。。
お目当ての方の名前や話が出て来なくても←(んっ?既に出て来たような気はするが。。。(汗))
ボクには一切、例え。。つまらなくてもボクには責任は取れないし。。。
認知も出来ないので(なんじゃそれっ??(爆))、それをわきまえてから読む人は読んで下され。
ここで止めてもボクは訴えないから安心して下され。
あっ!殿~(滝沢秀明君)
明日からの「滝沢演舞城」・・
本当に期待しております。
頑張って下され~呉々もお怪我などされませぬよう。。
それと、本当にお忙しい中、ご連絡を頂き本当に恐縮しております←(内容は内緒だっ)
しかし。。殿は、本当に気遣いのお方だ。
座長と呼ぶに相応しい方だと心から思う。舞台の成功を祈っております。。皆、出演者一同!殿を盛り上げ、迷惑を掛けず、足を引っ張らず。。(爆)本当に怪我等せぬよう。。無事に殿をお守りするのだぞっ!
フジカラーと、海老ネタ受けたか?たいぴー(爆)
俺には。。「雪ヶ谷大塚」という地名が藤ヶ谷太輔に見えるんだが。。。これはおかしいか??(爆)
さて。。
↓からは。。
短編の番外編のチョイ長編?だ。読むか?読まないかは?自己判断でお願いしまする・・(爆)
以前のSPEAKの☆参照の続きだ。
てな訳で・・ボクは音楽活動を疑問?に思った時期があった。
シンガーソングライターとして歌を書き、レコーディングをする。
又、必殺仕事人など・・撮影や取材の毎日。
今思えば・・あんなに目指していた事、やりたい事が・・
夢が実現をしたのだ。
何とも贅沢な悩みであった・・若さ故という話なのだが・・(苦笑)
あの頃のボクは・・ロックな歌を作りコンサートで歌う。
ドラマでは青春ドラマ(今で言う。。ごくせん等の学園ドラマ)など、歌う青春スターを夢見ていた京本青年は・・
コンサートでこそ、自身の作った派手な歌を唄い、大きなホールでの夢は叶っていたものの。。。
レコード(当時はCDではない時代)制作は、アルバムはセカンドアルバムの「テンプテーション」からは。。
自分の思う音作りを遂行しながらも。。
方や、デビュー二枚目のシングルからは。。必殺仕事人の挿入歌、「哀しみ色の・・・」
所謂、どちらかと言うと演歌歌謡曲だ。
時代劇必殺の劇中に流れてくるのだ。それは、仕方ない。しかも主題歌デビューの後は、
超人気番組、必殺仕事人に出演、挿入歌だ。大変幸せな事のはず。。
ただ、まだ23歳当時のボクが。。アルバムでは派手な音楽の作詞作曲をし・・同時にシングルでは、平尾先生の曲等を聞きまくり勉強をし、まねび・・歌を自身で作り。。唄っていたのだ。
当時、例えば・・大阪厚生年金や、フェスティバルホールの大ホールを満杯にし。。
沢山のファンの方々の黄色い声援を受け、歌い叫んでいたボクが。。コンサートが終わるや否や、普通ならバンド仲間やスタッフ等と打ち上げをし。。語らい、反省会をし、余韻に浸っていられるところ。。
コンサート終わりで、ボクだけは、タクシーに飛び乗り、高速に乗り京都の撮影所に向かう。
当時は、必殺仕事人の第二次ブームと言われた時期であった。
ボク演ずる、組紐屋の竜と花屋の政(村上弘明さん)が加入し。。当時の中高校生、より若いファンを獲得した必殺と言われていた時代であり。。。。テレビ、映画化、舞台化と。。。とにかく、寝ても覚めても、ボクは役者としては時代劇。
そして、シンガーソングライターとしては派手系。
でも、シングルとしては演歌。
それも全部自分で作らないといけないという役割。
タクシーを飛ばし・・京都の撮影に直行、カツラを被り、
着物を着付け支度をし。。深夜から必殺の映画の撮影だ。
撮影所の片隅で・・ポツンと一人で台本を読んでいたボクに、映画のパンフレット作りの為、取材に来ていた松竹映画のスタッフの方が声を掛けて来られた。
「竜さん、凄い人気ですね~今回の映画についての意気込みは?」と聞かれた。
ボクは。。「はい!頑張ります!!」答えながらも。。いやあああ、つい、さっきまでコンサートでロックをし、ファンの方々の生の声援を受けていたのですが。。。(汗)
今、こうして一人寒い撮影所の片隅で出番を待っている自分の何だか・・
あれ?と言う、このギャップに何か戸惑いも感じています(笑)
等と答えている談話が当時の映画必殺2のパンフレットに掲載されている。(苦笑)。。
ボクは、本当に既に何だか??嬉しく楽しく幸せな反面。何とも複雑な疑問を少しずつ当時感じ始めていたのだと思う。。
そして、三枚目のアルバムのジャケット撮影。
録音は既に終わっていた。
ボクのアイデア、デザイン案に基づいてジャケットの撮影は決行された。
横浜のレンガ倉庫街。・・塩の山(塩が本当に山のように積み重ねてある山がある場所があるのだ)ボクは、音楽面では、自身の求めた音楽作りに集中。
ビジュアル面では。。この塩の山を転がり落ちたり。。ホースで雨を降らし。。ずぶ濡れに。。雨に打たれたり。。殴られた後のように血糊を口から流したり・・
とにかく、メイクも綺麗なのは嫌。ひたすらに男っぽい路線。髪もボサボサ。
当時の自分の気持ちを考えると。。綺麗系、今でいうビジュアル系の役柄である静のイメージ、寡黙な自身の役への反発。
自分はこれを、これだけをやってきた。もしくはやり続けたい訳ではないとの自身の思いをぶつけていたのだと思う。
これからは必殺をいずれ卒業し。。汚れ役にも、明るい役にも挑戦したいんだ~という訴えにも近い行動だったと思う。
ジャケット撮影が終わり翌日、又京都に移動。
必殺の撮影に戻り。。。二日後、映画版必殺!の撮影中の大事故にボクは、見舞われる事になるとは。。
この時のボクは想像もしていなかったはずだし。。ボクは預言者でもないのだが。。
地面に叩きつけられたボク。。
カツラは遠くに飛び去り。。。
ボクは。。実は、小学校3年生の頃から。。ボクが19歳の時に亡くなった父に、半ば強制的にだが。。(苦笑)。。
町道場で柔道を習わされていた。
中学の三年生まで、町の駅前の柔道場に通っていたのだ。
中学二年終わりぐらいからは剣道にも興味を持ち始めたので。。。ボクは結果。。現在柔道も剣道も共に初段を持っている。。。
何でも、やはり柔道の段持ちだった父が若い頃、お酒を飲み。。酔っ払ったあげく。。。電車のガード上を歩いていて落下。
柔道をやっていた事が幸いし。。受け身を咄嗟にした事により、頭だけは打たなかったんだと言う事が父の生涯の自慢話のひとつであった。(苦笑)
ボクは幼い頃から、父に家の畳の上に投げ続けられ(爆)ついには。。。町道場に通わされる事になったのだ(苦笑)。。
しかし、歴史は繰り返されるとは、良く言ったもので。。。
必殺仕事人の京都撮影所の中。。スタジオセットの扉前の、すぐ上に日差しがある。
高さ5~7メートルぐらいだろうか?。。その日差しの上に2人、
スタッフの方がワイヤーの手綱を手袋を嵌めて引いてくれている。
ボクは設定上。。大男の外人部隊の二人と格闘。
屋根から落ち、寸でのところで。。その日差し部分に片手で掴まり宙ぶらりん。
組紐屋の竜、危機一髪というアクションシーンだった。
まずは、屋根から。。下のエアーマット(空気を入れたアクションようの特別製のマットだ)の上に、背中から落下。
実はボクは中学生の頃、機械体操部に少し在籍していたり。。恥ずかしながら。。某芸能事務所にスカウトをされており。。
少しは(汗)いや、ボクも。。恥ずかしながら、少しダンスの勉強をさせられていたりで。。(苦笑)
いやいや。。ボクにはダンスの才能だけは。。。。。。。なかった。(爆)
若い頃ボクは、
バク転、宙転、側転などは、お手の物。
アクションにもかなり自信を持っていたのだ。(汗)しかし、単なる自信は、ともすれば過信に繋がる。。。。
落下の後は、いよいよ宙ぶらりんのシーン撮影だ。
長時間、ぶら下がって撮影をしなければいけない事もあり。。
ボク扮する竜の着物の袖の部分からピアノ線のワイヤーを腰から装着。
そして、日差しの上にスタンバってくれていた二人のスタッフがそのワイヤーでボクを引っ張り支えるという仕組みだった。
ボクは片手の指先部分だけで日差しを持ちぶら下がり、自分の身体の全体重を支え(正直、かなり大変だった。指先だけで崖を登る、あのロッククライマーの感じと言えばわかるだろうか?)。。
危機一髪の芝居をボクは必死の思いでしていたのだ。
正直、ワイヤーは装着しているものの。。やはり怖い。
何が一番怖かったのか?
もしかしてワイヤーが切れたら等と考えたボクがいたからだ。
ワイヤー装着をしていたものの芝居の間。。ボクは自力でワイヤーを信じず。。自分の指先だけで自分の身体を支えていた。
少しアクションがあり、外人部隊を逆に落下させ。。。竜が落下した外人部隊を見るという芝居。
やはり本人が本当に危険なアクションに挑戦しているんだぞという事を見せる為、落下した敵を見るという芝居のカットを作って下さったのだ。
ところが、その時ばかりは顔を約7メートル下で構えるカメラ方向に身体を向けなければ顔を見せる事は不可能。
よって、ワイヤーに頼らざる得なかった。必死の思いでワンテイク目を撮影したのだが。。当時カメラマンであった石原興さん(現・仕事人メイン監督)から、7メートル上の日差しにぶら下がっているボクに声が掛かった。
「竜!大丈夫か~??まだ、もう少しいけそうやったら、今のカット。。。今ひとつ?本人がやってるってわからんかもしれん。
もう一回出来るかあ?」
ボクは、ギリギリ体力の限界ではあったのだが。。
「はい!大丈夫です。終わったら、ホテルで筋肉痛のマッサージおごって下さい~!」
などと、軽い冗談を言いながら、もうワンテイクの撮影に挑戦した。
何とか無事に撮影が終わり。。。
日差しにぶら下がっているボクを下に降ろす為。。梯子を用意し、それまで万が一の事を想定し、日差しの下に敷いてあったマットをどけ。。。梯子を日差しに掛けようとした瞬間の出来事であった。
必死にワイヤーの命綱を頼りにも。。自身の指先で必死にしがみついていたボクに。。
ワイヤーを必死に引っ張りボクを支えて下さっている二人のスタッフが声を掛けて下さったのだ。
「竜!しんどいやろ。わしらが支えてるさかい。。手を離しても大丈夫やで!」
それを聞いたボクも、正直。。もう手の指の先は痺れきって感覚さえなかった。
「はい!ありがとうございます(微笑)」と、マットと梯子が代わる一瞬の出来事であった。
ワイヤーが無惨にも。。切れてしまったのだ。
マットと梯子を入れ替えようと瞬間。つまり。。日差しの下、軒下には、既にマットはなく。。
ボク扮する、組紐屋の竜は小石が転がっている日差し下に落下。転落事故に見舞われる事になってしまったのだ。。。。。
人生というものは。。何とも過酷な試練を時に与えるのだろう。
ボクは地面に足から落下。翌日の新聞の三面記事になる大事故を引き起こしてしまったのだ。。。ワイヤーが切れたという過失ではあったのだが。。。
ボクは撮影所の日差し、軒下の5~7メ-トルの高さから落下した。
その時に。。
やはり咄嗟に、ボクが受け身をしていた為に。。幸いにも、カツラはぶっ飛んだものの。。。
何と!!頭は打たなくて済んだのだ。
受け身をしたボクの両手の手のひらには、小さい小石がのめり込んでいた。
足から落ちたボクの両足は。。落下したと同時にみるみる晴れ上がっていった。。。
激痛で声は出なかった。
とにかく、救急車で病院に担ぎ込まれたボクだが。。本当に涙が出る程の痛みではあった。。。
しかし、ボクの心の中は。。
「終わった?必殺降板か?コンサートは?レコードはどうなる?。。」
せっかく掴んだ自分が夢を見た幸せなはずのこの現実が。。
俺はいったいどうなるんだろう?
とにかく、痛い。痛いのだが。。本当に、その事ばかりを考えていたボクがいた。
検査、レントゲンを撮影し。。ボクは病室に入れられた。
すると、おもいっきり晴れ上がっていた両足であったのに。。
左足の腫れだけは、引いていくではないか(驚)
ちょっとだけではあるが。。(苦笑)本当にわずかな、不幸中の幸いだが。。。
うわっ!ちょびっと助かった~。(ボクのひとり言)
ボクは腫れの少し引いた左足でけんけんをして(笑)トイレにも、どうにか行く事が出来た。
しかし、診断の結果。。ボクの右足は、踵(かかと)陥没。アキレス腱は切れていた。
うわっ・・(絶望かっ?)
痛かった。。本当に痛かったのだが、もうボクの心の中は、それどころではなかった。
深夜、心配をしてボクの病室に、必殺のプロデューサーの方が訪ねて来て下さった。
どうや?と、プロデューサー。
ボクは、とにかく必殺を降板したくない。。。その一心で気丈な顔を努め。。
「大丈夫です。明日から、片足でも撮影に戻れます。」
この時期、必殺は朝から、昼はテレビドラマの撮影。
夕方から又、朝まで映画の撮影をしていたのだ。つまり寝ても覚めても必殺仕事人の掛け持ちをしていたのだ。
空いた日には、レコード制作。取材。テレビ出演。
この事故により、事故は翌朝の新聞、しかも。。読売新聞等の一般紙面を飾り(汗)。。。必殺仕事人!組紐屋の竜。京本政樹落下事故を起こす!!
ボクは、とにかく必殺を降りたくない。降ろされたくはない。
明るく気丈に振る舞い、何とか必殺降板だけは避けたいと。。ボクを下ろさないで欲しいと懇願し、劇中の中で。。何とか。。逃げれるアイデアをプロデューサーと出し合い、そして語り合った。
もう必死であった。
側には、マネージャーも居ない。ボクは京都の病室に一人であった。
結果、正式な足の手術を、一週間後に伸ばして貰うことに。。
ボクは、落下事故の翌日から、取り敢えず砕けた右足を石膏で固めてもらい。。
ギブスに車椅子姿で撮影に復帰したのだ。
痛み止めの薬を貰い。。。。
撮影をしている時は皆に声を掛けて頂き、労って頂き、痛みも忘れる事が多少出来たのだが。。
撮影が終わり。。東京の自宅マンションではなく、ひとり京都にある病室に戻ると。。。
とにかく、耐えられない程の痛みを感じた。。痛み止めの注射や飲み薬、睡眠薬などに頼る他はなかった。
人間、あれだけ。。何となく?
これって幸せ?これでいいのか?等と考えていた事が。。。。。。
まるで嘘。何事も、悩み等なかったかのように。。。(苦笑)
とにかく、幸せや仕事にしがみ付きたい気持ちになるものだ。
東京から、アイドル雑誌「POTATO」や「マイアイドル」。。当時は、「明星」、「平凡」などという名のアイドル雑誌の記者の方々も、
わざわざ京都のボクの病室、或いは撮影所にまで取材をしに来てくださった。
本当に有り難かった。
時には、ボクが持っていたラジオ番組。「京本政樹の朝の窓辺に・・」など、ラジオの収録までもボクの病室でこなした。
そして、仕事が終わると又、ひとり病室で。。。
約一週間後、かなりの量の仕事を車椅子でこなした後のある日。。。
ボクは正式な大手術を受けた。
手術が無事に終わって。。三日後の事だと思う。
必殺の映画撮影が、いよいよクライマックスを迎えていた。
クライマックス撮影と記者会見は、京都の撮影所ではなく。。。今はなき、松竹大船撮影所(「男はつらいよ」等を撮影していた有名な撮影所だ)に、
かなりの大掛かりなセットを組み。。映画の重要シーン撮影をする事になったのだが。。
一応。。。台本上では、組紐屋の竜は出ているのだが、、、
大丈夫か?大船に来れるか?と、聞かれたボクは。。。
「行きます!」と、気丈に答えたまでは良かったものの。。
病院から担架で運ばれ。。。新幹線に乗り込み。
とにかく、手術から。。。まだ三日目、縫った傷口が完全に塞がっておらず。。。足を自分の心臓より下に下げると。。縫った部分の傷口に血が逆流するらしく。。
担架や、移動に車椅子に乗っていても。。常に足を上に上げなくてはいけなかったのだ。
実際、移動はかなり大変だった。。。。
何時間を掛けて移動したのだろうか?覚えてもいない。
やっとの思いで、大船にあるホテルまでたどり着いたボクは。。
プロデューサーの方が、ボクの様子を見にホテルに来られた時。。
かなりの高熱を出し、苦しんでいたのだった。
その姿を目撃されたプロデューサーは、プロデューサー判断で。。。
「あかん。とても撮影は無理やな。京本君。。ほんま、ご苦労さんやったけど。。京都に帰り。。。」
ボクは。。ただだだ絶句する意外、言葉等なかった。
翌日。。又、同じ方法で京都の自分の病室に戻ったのだ。
結果、自身のシーンは削られる事に。。無念であった。
テレビの方は。。。必殺!お得意の、今を取り入れる方法で逃げ切った。
21話、タイトルはズバリ。。
「組紐屋の竜、右足を傷める」という回から。。
竜は、片足を折り。。松葉杖に負担が少しでもないようにと
カツラも、後ろ髪を結わず。。。
くくり下げと言う。。のちに。。ボクの、もう一つの専売特許のようなカツラ(修羅之介や、あんみつ姫でのリュウが、あんみつ同心を名乗る時のカツラだ)を、考案し。。そのカツラを着けてボクは後半、竜を演じるようになる。
足を痛めたボクは。。痛みを堪えつつも気丈に振るまいつつも。。
とにかく、撮影以外では。。又ボクを見舞って下さるスタッフの方々。。
ボクは、進行主任であった高坂さん、又現在の後援会を仕切って下さっている下村さん(下やんとボクは呼んでいる)には随分と助けて頂いた。
彼らが、病室を見舞って下さる時には痛みを忘れる事が出来た。
ボクは。。。当初の診断、全治二か月が。。結局のところ無理が祟り。。約三ヶ月近くもの間。。この病院での生活と撮影所の行き来をする事になる。
そして。。。
ドSなのか?ドMなのか?
幸せなのか?不幸せなのか????
何をしたいのやら?したくないのやら??
何を目指しているのやら?目指してないのやら??
もう。。。。。。
本当に。。。わからなくなっていったのだ。
そして。。。。。東京から病室に電話が入る。
サードアルバムのタイトル決まった????
ボクは。。。。。。。
タ イ ト ル かっ。。。。。。????????
どうしよう???
早く決めてくれないと。。。それと、歌詞カードに、いつも描いてくれているイラストも必要だから。。。
ここから。。。以前のSPEAKの最後に繋がるのだ。
翡翠の気持ちがわかる夜。。。。
いや。。。。政樹の気持ちがわかる夜。
こんどこそ本当に。。。。完だっ