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どうせなら・・あの伝説の?ライブに連れて行ってやるっ(爆)

投稿日:

ゴールデンウィーク特別企画。


喜んで頂いているようで何よりだっ(微笑)

 


最近、続々と発掘されている当時の自分の貴重な音源などを聞いていると・・


何故にこんなに?というぐらい(汗)コンサートや、ディナーショー又はライブのみと言った未発表曲。。。

 


つまり、後にレコーディングはおろか(汗)レコード化、CD化も一切されていない楽曲が多いっ。←それっきり歌っていないっ(爆)

 


いや、本当に異常に多い。(爆)←しかも、本人のボクさえ忘れてたっ

 


正直、まだまだあるっ汗

 


つまり、そう言った曲たちは・・

 


皆様が感想をそれぞれ聞かせて下さるように。。

 


時に、当時。。

 


そのコンサートなり、ディナーショーに来て下さった有難いファンの皆様が目撃されていたものや。。。


又は、最近のボク。

 


俳優、時代劇としてのボクしかご存知なく・・まさか(驚)俳優である京本政樹が・・シンガーソングライターだったのっ?!


しかも、こんなにレコーディングをし、コンサートやディナーショーをしていた時期。おまけに人にプロデュースまでもしていたのっ?!!


等と驚かれている話を。。


羅刹那サイト上のみの感想だけではなく。。


実際、ボクの仕事現場などでも、最近自身の耳に入る現象が起こっているのだっ。。。。←ホントよく人に聞かれるようになった。


これらの現象に遭遇する度。。


30周年で超ハイパーリューアルを施した、オフィシャルサイト進化計画に着手をした甲斐があるという事を感じる。


日々、サイトをマメに覗いて下さる皆様に感謝すると共に・・


スタッフA君っ


本当に感謝だっ(ペコリ)ありがとうなり~


でっ・・


どうせなら・・


ディナーショー雰囲気を感じて貰うだけでなく。。

 


元々からの原点。←はディナーショウは、寧ろボクの葛藤の後の産物だっ


元々どうやって??


ボクは、シンガーソングライターとして羽ばたいて行った


時期があったのか?という軌跡。

 


ボクがデビューアルバム、「ラブレーの15分」発売と同時に。。


音楽少年から青年に成り立て?の京本政樹が。。(過去スピーク参照)

音楽を志していたはずのボクが。。汗


何故か?


歌う青春スター?になるはずのボクが??(爆)(過去SPEAK参照2)


何故か?

 


何故?こうなるのっ??


と言った時代。。。。。


つまり、銭形平次の魚屋さんであったり。。(苦笑)

 

 


なかなか、レコードを出させて頂ける状況に到達出来なかった時代を経験していたボクが。。


角川映画 「里見八犬伝」に出演と同時に。。

 


シンガーソングデビュー、レコーディングが決まり。。


ある朝起きたら。。。


何で??

 


と、自分でも。。まったく??????ってぐらいに。。(爆)

 


キャーキャーとした当時女子中高生のファンの方々の黄色い声援を受け。。

 


正直、嬉しい(微笑)と言うより。。??

 


どうなったの???


なんでこうなってるの??

 


と言ったぐらいの目まぐるしい環境の変化に戸惑っていたボクが居たのだっ。(苦笑)

 

 


ボクは。。。13歳ぐらいでスカウトされてから。。


23歳ぐらいまで。。。随分と、ノラリクラリとただただ流れに身を任せ。。10年。


別に苦節十年と言う感じではなかったが。。


とにかく。。そこまでが、まずはボクの場合。。やけに長かったように思うっ


当時、新宿のルイードというライブハウスは、


シンガーソングライターならば、誰もが憧れた場所であったと思うのだっ。


名前を聞いた事がある人は多いはずだっ


ボクは、「里見八犬伝」の大ヒットと同時に。。

 


ビクターインビテーションレーベルから。。←サザンと同じ←ほぼ同期(爆)


当時のボクと同年代のアイドル歌手のデビューとは一線を引いたデビューの仕方をボクはしたっ。

 


全10曲を全て自作詞、曲による、いきなりアルバムデビュー。。


まさに。。シンガーソングライターデビューだっ

 


それまで、、


何年も時代劇を中心に活動してきた、どちらかというと地味目な無名に近かった俳優修行、活動をして来たボクが。。。


デビューアルバムの販売促進も兼ねて企画されたライブをする事になる。


東京のルイード、大阪のバーボンハウスといったライブハウスで


デビュー記念ライブを行う事になったのだっ。

 


でっ。。。

 

 

 


いざ蓋を開けてみれば、、、


キャパ300人の両会場に。。。

 


2000人以上のファンの方々が詰めかけ。。(驚)

 


急遽、300人の座席を取り払い。。

 


1000人、1000人と言った具合にファンの方々を整理し。。分けて。。

 

 


もう全くのすし詰め状態。

 

 


マッチ棒状態にファンの方々を詰め込み、ライブを一日に二回強行実施をしたのだっ!!!

 


いやいや。。ボクが仕切った訳ではないがっ(爆)

 


ボクは。。相棒のノアと一緒に小さなライブハウスの楽屋の片隅で

 


初めてのバンドを率いたライブにドキドキと緊張をしていた。。


と、思う(爆)

 

 


どんな状況になっているのか?


想像もついていなかったっ。。。


そして。。ライブ本番は始まったっ

 

 


がっ。。。

 


あまりにも人が集まりすぎてしまったため、、、

 


ボクは。。。

 


声援の中。。


何を歌ったのか?


どんなトークをしたのかさえ覚えてはいなかった。(爆)

 

 


ただただ。。観客がギュウギュウ詰め状態。

 


呼吸出来ない程に。。

 

 


とにかく。。。暑かった事を覚えているのと。。

 

 

 


終了後。。。


ルイードからノアと共にライブハウスを飛び出し。。

 


移動車までの距離を走った記憶が残っている。

 


すぐ後ろから、、、2000人以上のファンの方々が。。


ボク等二人を追いかけてくるのだっ

 


昔のライブハウスだっ

 


楽屋口などと言うシャレたものなど一切なかった。

 


走り逃げ切りながら。。相棒であるノアが。。

 

 


(ノア)オレたち大変な人気になっているなああ


(ボク)どうするノア??・・・・・・・・・・・・・・え?オレたちっ???


等と。。かなり能天気な会話をしていた事を思い出す。(爆)

 

 


そんな訳で。。。

 


なんと両会場ともその後一切出入り禁止となったのだっ!!!

 


「もう何が何だか??」

 


と言った。。。

 


本当に。。

 


「何で???」

 


と言った具合のライブを。。。

 


どうぞっ(爆)

>>Discography

「1984.6.2 伝説のファーストライブ in 新宿ルイード」

 

 


本当に世の中。。


便利な時代となったものだっ

 


こう言った。。音源での浸り方も

 


一種の


タイムスリップ感覚を味わえる。


詳しくは、、又徐々にSPEAKさせて頂く。(爆)

 

 

 


ゴールデンウイーク。。


じっくり、


ライブなり。。。ディナーショーなり。。弾き語りなど


楽しんでおいて下されっ

 

 


但し。。。


このデビュー記念ルイードライブは。。


うんっ???というぐらい。。


皆様の声。。。???


当時のボクのファンの方々の悲鳴にも近い、歓声や声援で。。

 


もう、、、


何が何だか。。


分からない状態だっ。。。

 


当時23歳のボクの?????????


と言った心が少しは?分かって貰えると思うのだがっ(爆)

 


ボクは。。。


本当に。。


朝起きてみたら。。。


時代劇少年から。。変貌。


ジャニーズの現在の皆のように。。。

 


ちょっとした。。。


アイドルになっていたっ(爆)

 

 

 

 


ちょっびっと、ボクもお休みを貰うっ

 


いやっ。。仕事はあるのだがっ。。。SPEAK休みだっ(苦笑)


楽しんでおいて下されっ。。

 

 




おやすみなり~スタスタスタジョギング

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おこんばんはっ。。。。。ディナーショウに連れてってやる(爆)

投稿日:

朝から。。。


又、新幹線に乗って行ってきたっ


久しぶりに。。。


ユンソナにも会い。。

 


昨日、韓国から東京に戻ったそうなっ


本当にお母様になられて八ヶ月との事だが。。


本当に幸せそうで良かったっ(微笑)


松村邦洋君も、良かった。嬉しい

 


この世に居てくれて。。


本当に良かったっ

 


上沼さんは、本当に面白いトークをされる。


ついつい聞き入ってしまい。。


観客席状態にいるボクがいる。(爆)


兄弟(柳沢慎吾)や、アニキ(森田健作)と居る時のボクとかなりテンションは違うが。。。


どちらも正直なボクだからいいのだっ←どちらかというと無理しているっ???(爆)


地獄旅での身体の筋肉痛がとれないのだっ←なぜ筋肉痛???

 


でも、最近。。。正直。。。


上沼さんと居るときの方が。。。


妙に落ち着くっ


ホッとする自分がいるのだっ。。。

 

 


もう。。。


テンションを無理に上げられる年ではなくなってきたのか?

 


妙に、、、、


居心地の良い。。

 


怪傑えみちゃんねる(爆)

 



おやすみなり~スタスタスタ。。。ジョギング

 

 



本日のSPEAK、、、非常に、、、シンプル。。。

お詫びのしるしといってはなんだが、、、

ボクからゴールデンウィークを楽しんでらっしゃる皆さんにプレゼント←羅刹那スタッフA君に頼んである。

PCを開ける人、、、楽しみにしておいてくれ。

クリスマスディナーショーやサマーディナーショーというのは聞いた事があるが、

ゴールデンウィークディナーショーってのはあるのかなあ???

でもいいぞお羅刹那サイトのディナーショーは、、、

タダだっ(爆)

 

 

>>Discography

「1988 大阪新阪急ホテルディナーショー」

 

 

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髑髏戦士スカルソルジャーから牙狼(ガロ)へ。。。。

投稿日:

牙狼(ガロ)という作品をご存知の方には言うまでもない事だが。。。。

 

本当に牙狼は、近頃凄い事になっている。

2006年頃の作品だから、もうあれから3年。。

 

月日の経つのは早いっ←しみじみだっ

 

近頃は、「CR牙狼-GARO-」として。。全国のパチンコ店を。。

15万台近いメガヒットとして大旋風を巻き起こしているようだっ

 

 

ボクにとっては、「必殺仕事人」といい、この「牙狼-GARO-」といい。。

正直、思ってもいなかった第二次!三次使用といった流れや作品評価で。。。。

あげくに大ヒットという社会現象の渦の中に、ポツンと置かれた状態である←良い意味でだっ(微笑)

 

「必殺仕事人」にしても。。。

それこそ、それ以上に。。「牙狼-GARO-」という作品が。。

3年後。。。このような形で受け入れらる等。。

本当に考えてもいなかった事だと思う。。。←ちょと予感は、正直あった(爆)

 

あの頃のボクは。。。

 

ただただ。。

 

ボクにとっては、情熱を傾けて一心不乱に、雨宮慶太監督始め。。全製作陣、全キャスト。。皆が情熱を傾けて製作をされていた活気ある現場。。

その作品作りに参加させて頂くと言う光栄な気持ちと。。

ボクは、特別友情出演に始まり。。

 

エンディング主題歌の作詞作曲、唄。しいては、キャスト陣が大集結をしたGARO Projectのプロデュースという、寧ろ。。

 

最初は製作陣側の方。。という立場の比重の方が大きかったと思う。

 

思えば。。。今からもう16~7年は経つのだろうか?

ボクがまだ高校教師を演じる前。

丁度、大江戸捜査網というテレビ東京の時代劇を足掛け2年

撮影していた頃だ。

 

年齢的には31~3歳の頃だったと思う。

 

実は、それから後に。。「水戸黄門外伝かげろう忍法帖」を経て。。37歳の頃、ボクは、日本で初めてSFXという技術を使用した、

「修羅之介斬魔剣」という時代劇映画にボクは主演する事になる。。

この事については、又何れゆっくりSPEAKさせて頂く?が(爆)。。。。

 

この修羅之介という作品をどうしても映像化したくて走り回っていたボクが、「大江戸捜査網」撮影時に、既にいたのだ。

 

企画を通す為に。。走り回る31歳頃のボクが居た。

そして。。やっと、やっとの思いで実現しようとしたその時。。

時代劇=予算が膨大に掛かる=企画を現代劇に変更。という憂き目に合う訳だっ(汗)

 

 

ボクは。。。時代劇をやりたかった。

荒唐無稽な、CGや特撮技術を駆使した時代劇。

 

しかし。。予算がっ。。。。

この時代、まだまだコンピュータ技術そのものの仕様や試み、CGを駆使して作る映画。

 

しかも、時代劇を撮るなどというボクの突拍子のない発想に。。中々賛同をして貰う事が本当に難しい時代であった。

賛同して貰えない=皆、CGなど使わない時代=CGそのものが異常に高い予算のものといった具合でっ(汗)

(過去SPEAK参照)の、大川橋蔵先生ゆずりのボクの発想は。。

又、時代の先読みは。。今思えば。。結果、当たっていた訳で。。

現に。。現在においては、CGを使用しない映画の方が珍しい世の中になっているではないかっ。。。

時代劇においてもそうなってきている。

これらについても。。何れだっ(すまんっ)←長くなるっ汗

いやいや。。本日のSPEAKは、何が書きたかったかと言うと。。

牙狼誕生の影に、背景に。。

ボク的にといった感じかもだが?

1992年頃のボクが製作総指揮、脚本、音楽、主演。。。

一人で何役もこなし製作をした作品。

 



「髑髏戦士スカルソルジャー」という作品があったという事。

この作品は、牙狼でいうところの”大人向けヒーロー特撮ムービー”という。。まさに狙うところの製作趣旨や、ターゲットが同じ方向の作品であったという事。

そして。このボクの製作したスカルソルジャーという作品のキャラクターデザイナーが、牙狼と同じ。。。

雨宮慶太監督であったと言う事実。

まさに。。。早過ぎた?

いやっ。。この作品が生まれていなければ。。

雨宮監督とボクは、会ってもいない訳で。。

 

という事は。。。

現在の「牙狼-GARO-」の誕生。

いやいや、、才能ある雨宮慶太監督自らは、ボクと出会っていなくとも

何らか?牙狼という作品を誕生させておられたかもだが?

少なくとも。。ボクと監督の出会いがなければ、

ボク、京本政樹が。。龍崎駈音や暗黒騎士キバを演ずる事はなかった訳で。。。

いや?待てよ?、、やはり、スカルソルジャーに手を染めていなければ。。

ボクも雨宮監督も大人向けのヒーローもの?

つまり、アメリカでいうところのバットマンやロボコップ等に値する作品を製作しよう等とは考えなかった?訳で。。

いやいや。。。

人生には、やはり。。。だったら話は、やはりないのだと思う。。。。。

今日この頃である。(笑)

 

 

結果はオーライだから、、、良いのだっ

悪いが。。明日も早いので、、、

 

又今度、ゆっくりだっ(爆)

ちょっとは。。いや、もっと知りたい人は、

 

 



を読んで下されっ(爆)

おやすみなり~スタスタスタジョギング