牙狼(ガロ)という作品をご存知の方には言うまでもない事だが。。。。
本当に牙狼は、近頃凄い事になっている。
2006年頃の作品だから、もうあれから3年。。
月日の経つのは早いっ←しみじみだっ
近頃は、「CR牙狼-GARO-」として。。全国のパチンコ店を。。
15万台近いメガヒットとして大旋風を巻き起こしているようだっ
ボクにとっては、「必殺仕事人」といい、この「牙狼-GARO-」といい。。
正直、思ってもいなかった第二次!三次使用といった流れや作品評価で。。。。
あげくに大ヒットという社会現象の渦の中に、ポツンと置かれた状態である←良い意味でだっ(微笑)
「必殺仕事人」にしても。。。
それこそ、それ以上に。。「牙狼-GARO-」という作品が。。
3年後。。。このような形で受け入れらる等。。
本当に考えてもいなかった事だと思う。。。←ちょと予感は、正直あった(爆)
あの頃のボクは。。。
ただただ。。
ボクにとっては、情熱を傾けて一心不乱に、雨宮慶太監督始め。。全製作陣、全キャスト。。皆が情熱を傾けて製作をされていた活気ある現場。。
その作品作りに参加させて頂くと言う光栄な気持ちと。。
ボクは、特別友情出演に始まり。。
エンディング主題歌の作詞作曲、唄。しいては、キャスト陣が大集結をしたGARO Projectのプロデュースという、寧ろ。。
最初は製作陣側の方。。という立場の比重の方が大きかったと思う。
思えば。。。今からもう16~7年は経つのだろうか?
ボクがまだ高校教師を演じる前。
丁度、大江戸捜査網というテレビ東京の時代劇を足掛け2年
撮影していた頃だ。
年齢的には31~3歳の頃だったと思う。
実は、それから後に。。「水戸黄門外伝かげろう忍法帖」を経て。。37歳の頃、ボクは、日本で初めてSFXという技術を使用した、
「修羅之介斬魔剣」という時代劇映画にボクは主演する事になる。。
この事については、又何れゆっくりSPEAKさせて頂く?が(爆)。。。。
この修羅之介という作品をどうしても映像化したくて走り回っていたボクが、「大江戸捜査網」撮影時に、既にいたのだ。
企画を通す為に。。走り回る31歳頃のボクが居た。
そして。。やっと、やっとの思いで実現しようとしたその時。。
時代劇=予算が膨大に掛かる=企画を現代劇に変更。という憂き目に合う訳だっ(汗)
ボクは。。。時代劇をやりたかった。
荒唐無稽な、CGや特撮技術を駆使した時代劇。
しかし。。予算がっ。。。。
この時代、まだまだコンピュータ技術そのものの仕様や試み、CGを駆使して作る映画。
しかも、時代劇を撮るなどというボクの突拍子のない発想に。。中々賛同をして貰う事が本当に難しい時代であった。
賛同して貰えない=皆、CGなど使わない時代=CGそのものが異常に高い予算のものといった具合でっ(汗)
(過去SPEAK参照)の、大川橋蔵先生ゆずりのボクの発想は。。
又、時代の先読みは。。今思えば。。結果、当たっていた訳で。。
現に。。現在においては、CGを使用しない映画の方が珍しい世の中になっているではないかっ。。。
時代劇においてもそうなってきている。
これらについても。。何れだっ(すまんっ)←長くなるっ
いやいや。。本日のSPEAKは、何が書きたかったかと言うと。。
牙狼誕生の影に、背景に。。
ボク的にといった感じかもだが?
1992年頃のボクが製作総指揮、脚本、音楽、主演。。。
一人で何役もこなし製作をした作品。
この作品は、牙狼でいうところの”大人向けヒーロー特撮ムービー”という。。まさに狙うところの製作趣旨や、ターゲットが同じ方向の作品であったという事。
そして。このボクの製作したスカルソルジャーという作品のキャラクターデザイナーが、牙狼と同じ。。。
雨宮慶太監督であったと言う事実。
まさに。。。早過ぎた?
いやっ。。この作品が生まれていなければ。。
雨宮監督とボクは、会ってもいない訳で。。
という事は。。。
現在の「牙狼-GARO-」の誕生。
いやいや、、才能ある雨宮慶太監督自らは、ボクと出会っていなくとも
何らか?牙狼という作品を誕生させておられたかもだが?
少なくとも。。ボクと監督の出会いがなければ、
ボク、京本政樹が。。龍崎駈音や暗黒騎士キバを演ずる事はなかった訳で。。。
いや?待てよ?、、やはり、スカルソルジャーに手を染めていなければ。。
ボクも雨宮監督も大人向けのヒーローもの?
つまり、アメリカでいうところのバットマンやロボコップ等に値する作品を製作しよう等とは考えなかった?訳で。。
いやいや。。。
人生には、やはり。。。だったら話は、やはりないのだと思う。。。。。
今日この頃である。(笑)
結果はオーライだから、、、良いのだっ
悪いが。。明日も早いので、、、
又今度、ゆっくりだっ(爆)
ちょっとは。。いや、もっと知りたい人は、
おやすみなり~スタスタスタ